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国立劇場

国立劇場第161回 舞踊公演 「花形・名作舞踊鑑賞会」(8月3日) 特別対談【前編】
花柳壽應(日本舞踊花柳流五世宗家家元後見人)& 古井戸秀夫(東京大学名誉教授)

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日本の伝統芸能の殿堂として、国立劇場は開場以来、日本舞踊の伝承と振興に努めてきた。その夏恒例の舞台が、明日の日本舞踊を担う世代が名作を踊る「花形・名作舞踊鑑賞会」だ。円熟した芸とはまた違い、伸び盛りの舞踊家が全力で古典に挑む清々しい舞台は今年、外国人を含む多くの観客で賑わった。今回の公演で計2曲の監修を務めた花柳壽應さんと、日本舞踊への深い愛情と知識で知られる古井戸秀夫・東京大学名誉教授が、舞踊家と研究者というそれぞれの立場から、日本舞踊への思いや注文などを率直に語り合った。


左より花柳壽應さん、古井戸秀夫さん

伝統ある国立劇場の日本舞踊公演

古井戸(以下、古):国立劇場は昭和41年に開場し、日本舞踊の公演は11月に催されました(「東西顔見世舞踊」)。

壽應(以下、壽):僕、その公演に出ていました。

古:正に先生は、レジェンド(伝説的人物)です。先生は舞踊家としてご出演されただけではなく、国立劇場の上演作品の振付や指導、監修もされています。

壽:国立劇場の主催公演というものは、きちんとした踊りを残さなければいけない。今は便利な映像資料があって、それを参考にするのもいいけれども、頼り過ぎると細かい所で危険が一杯あります。今回の公演でも、花柳流の舞踊家が踊る曲に監修という形で入って、規範を示す、という気持ちで関わりました。

古:国立劇場の開場当時、日本舞踊は盛んでした。一方、歌舞伎は危機的状況で、存続が危ぶまれる時代でした。ですから歌舞伎の養成所(国立劇場歌舞伎俳優・歌舞伎音楽研修)はスムーズに行って成功しました。ところが50年を経て今、日本舞踊はかなり危機です。長唄をはじめ邦楽も危ない。今こそ国立劇場が果たす役割は大きい。その一つが、先生もおっしゃった規範を示すという使命です。

  

今公演を振り返る~壽應監修作品を中心に

〈今公演では、昼の部が長唄「汐汲」(中村梅)、常磐津「粟餅」(藤間仁凰、泉秀樹)、清元「吉野山」(花柳寿太一郎、花柳秀衛)。夜の部は長唄「女伊達」(水木扇升ほか)、清元「浮かれ坊主」(西川扇重郎)、長唄「連獅子」(市山松扇、花柳寿美藏、花柳昌凰生、若見匠祐助)が上演された〉


汐汲(中村梅)

古:この公演は昼夜3本ずつという構成でした。各回最初の2本は20分ほどの小品の変化舞踊です。それに対し、先生が監修された「吉野山」と「連獅子」は、歌舞伎でも日本舞踊でも一幕物で上演される大曲です。こういう大曲で、先生がご指導されるのは若手にとって、大変、貴重な機会になる。「あそこの振りはどうしてですか」と直接聞けますし、何かあれば全部、先生の責任になります(笑)。

壽:そりゃそうです。


女伊達(水木扇升ほか)


浮かれ坊主(西川扇重郎)

古:「粟餅」は坂東流の振りで、指導は坂東勝友さん、踊っているのは藤間流と泉流の舞踊家ですが、残念ながらプログラムに振付師の名前が出ていません。古典をきちんと残すという意味で名前を出さないと、振付師は陰の存在のままです。舞踊家であると同時に振付師である先生が、長年かけて表に出る存在になられたのに、また振り出しに戻ってしまう。

壽:色々な流派の人が交流するのはいい。でもそれを誰が指導するか。せめて国立の主催公演では、規範も責任者も示すべきだと思います。


粟餅(左より泉秀樹、藤間仁凰)

吉野山

〈義太夫狂言「義経千本桜」の一部で、源義経の恋人である静御前と、義経の家来である佐藤忠信の旅を描く舞踊。今回は、花柳流の振付での上演で、壽應が監修した。花柳流の若手ホープである寿太一郎が忠信を踊り、秀衛が静御前を演じた〉

古:花柳流の「吉野山」も、義太夫でやる場合、清元でやる場合、両方の掛け合いでやる場合、それぞれありますね。

壽:それぞれ違います。(初音の鼓を使った)「万歳」の振りは、花柳流にはありません。

古:(紙雛の見立てになる)「女雛男雛」の場面はありましたね。


左より花柳寿太一郎、花柳秀衛

壽:今回のように清元で踊る場合、さらっとやりますでしょ。寿太一郎は歌舞伎が大好きですから、「それは義太夫の踊り方だ。違う!」って怒りました。

古:いくら勘のいい彼でも、急にそう言われても難しい。もう一回踊らないと。

壽:二人の芸風が違っていて、これを合わせるのは容易な事ではない。秀衛は、花柳寿南海さん(1924~2018年)に習っていましたが、古典の味といってもどこか違うものがある。これも怒りました。また衣裳にしても鬘にしても、決まりがある。僕も家元になって以降、そういうことをうるさく言うようになった。若い頃は、こだわらなかったけれど(笑)。

古:先生も家元を譲ったから、これからは好きにやっていいと思います(笑)。

壽:やはり家元は、踊りを守らなければならないと思います。

古:例えば静御前ですと最初、「雉子のぱっと立ってはほろろけんけん」の詞章のところ、あそこで雉子は子を慕うのに対し、静は恋人である義経を慕います。子を慕う心を詞でうたって、踊りでは男を慕う女の気持を表現する。そういったポイントでは歌舞伎役者と、日本舞踊の人では、表現が違う気がします。

壽:そうですね。日本舞踊は形から入る。役者はまず心、役から入って覚える。その違いが大きい。一方、舞踊家はまず踊りの順序、形から入る。あとから魂を入れようとしてもこれはなかなか難しい。

古:役者さんの場合、手順が違って「あれ?」と思っても、気持ちがうまくできていると、観客に内面が伝わります。ところが日本舞踊の場合、動きの美しさや面白さは伝わるけれども、それだけでは物足りない。だから先生は、「気持ちを込めなければいけない」とおっしゃる。

壽:だから弟子たちには、「歌舞伎をみなさい」とよく言っています。

古:忠信は、見所満載のいいお役ですね。僕は十二世市川團十郎(1946~2013年)の忠信、大好きなんです。以前、映像資料を見比べたら、二世尾上松緑(1913~89年)の形が抜群にいい。それと比べると團十郎は、形は崩れているけれども、面白い。團十郎は役者の振りですが、松緑は役者の踊りであると同時に舞踊家(藤間流家元、藤間勘右衞門)の踊りです。(舞踊の名人)六世尾上菊五郎(1885~1949年)の直系ですから、身体の動きも抜群です。その面白さとは、メリハリをどう付けるかなのですが、寿太一郎さんの踊りは、そこがハッキリしていませんでした。

壽:僕は若い頃、よく外国に行きました。外国のダンサーと交流したかったから。日本と違って、向こうは合理的です。これからの時代、合理性も必要だと思う。古典の精神は守っても、表現の仕方は昔と違ってきています。今の舞踊家の方が器用に動けるけれども、薄くて深みがないことも多い。それは心の問題であり、便利な機械に頼りすぎているからだと思います。
  僕は弟子が「教えて下さい」って来れば、教えます。それで急に踊りがうまくなる訳ではありませんが、考え方が変わる。すると次、踊る時に何かの形で応用できる。それは精神です、結局。

  

連獅子

〈能の「石橋」を題材にした、親子の獅子の情愛を描く舞踊。文久元(1861)年、初世花柳寿輔、芳次郎親子に当てて書かれた作品で、後半の勇壮な毛振りで知られる。今回は流派を超え、市山松扇と花柳寿美藏がそれぞれ親獅子、仔獅子を演じた。壽應監修〉


左より花柳寿美藏、市山松扇


左より花柳昌鳳生、若見匠祐助 

古:「吉野山」は、純歌舞伎的ですが、「連獅子」は松羽目物(能楽の装置や演出様式にならい演じられる演目)で、新しい明治以降の感じがしますね。先生は、「連獅子」や「奴道成寺」など大曲と呼ばれているものは、おやりになっていますね。

壽:ほとんどやりました。(伯父で師事した)二世花柳壽輔(1893~1970年)からそういう教育をされた。「下手でもいいから、大物をとにかくやれ。うまくなくてもいいから、スケールの大きい舞踊家になれ」と言われました。

古:「奴道成寺」や「吉野山」は、歌舞伎でできたものを日本舞踊化しましたが、「連獅子」の場合、花柳で作ったものが歌舞伎になり、さらにまた日本舞踊になったのでしょうか。

壽:初世壽輔(1821~1903年)以前は分からないですが、初世も二世も歌舞伎の振付をしていましたから、歌舞伎と花柳流は密接な関わりがあって、相互に影響したと思います。能は江戸時代、式楽(幕府の儀式に用いられた芸能)で普通の人はなかなか見られなかったのが、明治以降、見られるようになり、能の影響を受けた「連獅子」「紀州道成寺」「船弁慶」などができるようになりました。

古:松羽目物がなぜ明治以降、流行ったかというと、お能はストーリー自体、単純で分かりやすい。ただ表現が難しい。松羽目物はそこを分かりやすくしたので注目されました。今回の「連獅子」は、松扇さんが市山流で、寿美藏さんは花柳流。流派を超え先生が監修されました。松扇さんもお父様(先代家元)が亡くなって、習う人がおらず、大変ありがたかったそうです。能は五流ありますが、日本舞踊は日本舞踊協会が把握しているだけでも、百何流あるそうです。すると新しい流派は、自分の特色を作らざるを得ない。「連獅子」も、どの流派でも踊るのでしょうが、やはり少しずつ違うのでしょうね。

壽:松扇も振りは忠実にやっているけれども、踊り方の風が花柳流と違う。どこがどうっていうのは難しいが、何か違う。体の使い方だと思う。

古:風には2つあって、身体の使い方と、足どりリズムの取り方ですね。(つづく)

編集:飯塚友子(産経新聞記者)

  

※今だからこそ発信したい日本舞踊がもつ力、また舞踊界全体への提言など様々な視点から示唆に富む話が展開する後編はこちら

プロフィール

花柳壽應(日本舞踊花柳流五世宗家家元後見人)
伯父の二世花柳壽輔(初代壽應)に師事。1967年、五代目花柳芳次郎を襲名。長年にわたり花柳流宗家家元後見人として流儀を支える一方、異なるジャンルにおける振付・共演等幅広く活躍。2007年、四世家元壽輔を襲名。2016年には孫の六代目芳次郎に宗家家元を継承させ、自身は二世壽應を襲名した。2011年、日本芸術員会員となる。振付師としても流派を超えた著しい活躍をみせ、膨大な作品を残している。また、「舞踊塾」を主宰し、広く若手舞踊家の育成に注力した。旭日小綬章、日本芸術院賞等受賞多数。
古井戸秀夫(東京大学名誉教授)
東京生まれ。1974年、早稲田大学卒業。同大大学院で郡司正勝に師事。早稲田大学文学部教授、東京大学文学部教授を歴任。専攻は演劇学・舞踊学、歌舞伎・日本舞踊の研究。歌舞伎の文献研究と併せて歌舞伎の復活・復元研究にも取り組み、国立劇場歌舞伎公演、舞踊公演で台本の補綴にも携わる。『評伝 鶴屋南北』(白水社、2018年)にて第69回芸術選奨文部科学大臣賞、第70回読売文学賞、第51回度日本演劇学会河竹賞、第41回角川源義賞を受賞。公益社団法人日本舞踊協会副会長。