コラム

2023.08.04

天神信仰について

 菅原道真以前から日本では天から降りて雨を伴う天神(雷神)は農耕の神、火の神として信仰されてきました。延喜3年〈903〉、道真は非業の最期を遂げ、従者によって「天満大自在天神」として祀られます。

 道真の左遷後、都の疫病をはじめ、左遷に追いやった時平(ときひら、延喜9年〈909〉39歳)、時平の甥で皇太子の保明(やすあきら)親王(延喜23年〈923〉21歳)、その子・慶頼(よしより)王(延長3年〈925〉5歳)、時平の長男・保忠(やすただ、承平6年〈936〉47歳)の死、清涼殿落雷事件(延長8年〈930〉)などが続いたことから、道真の怨霊説が流布します。
 道真の怨霊を鎮めるため、かねてより平安京の西北・北野に祀られていた火雷神を北野天満宮として天暦元年(947)に造営します。また道真が葬られた大宰府の安楽寺廟に、やはり道真の怨霊を鎮めるため延喜19年〈919〉社殿を造営、のちの太宰府天満宮となります。

 時代が下ると天神は怨霊としての性格は薄らぎ、慈悲の神、冤罪を晴らす神、現世の長寿と来世の極楽往生に導く神として信仰されるようになり、戦国時代には怨敵調伏・王城鎮護の神として貴ばれます。もとより和歌・連歌の神の性格も持っていましたが、平和な江戸時代が到来すると学問の神としての信仰が確立するのです。

 生前より梅を愛していた道真。「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」(『拾遺和歌集』)は余りにも有名です。その歌から生まれたという飛梅伝説、左遷された主人の身の上を嘆き、京の庭に植えられた梅が大宰府へ向けて飛び、一夜のうちに降り立った、というものです。現在も全国の天満宮に梅は欠かせません。  梅とともに道真と縁が深いのが牛。やはり生前道真から愛でられた牛が葬送の際に車を曳き、安楽寺で動かなくなったことから、そこに廟が建てられたなどの伝承が残ります。牛は天満宮の神使いとして、臥牛像が置かれています。

 道真は6月25日に生誕(御誕辰祭)、2月25日が命日(梅花祭)であることから、毎月25日は天神様の縁日となり、1月25日の「初天神」、12月25日を「終い天神」として参詣され、また日本の代表的な夏祭りである天神祭(大阪天満宮)は7月25日に行われます。

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