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2019.05.11
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2019.03.29
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2019.03.25
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2019.03.252019年5月文楽特設サイトをオープンしました!
- ・月・水・土・日・祝日に開設
事前のご予約が必要です
(定員になり次第、締切) - ・料金:
0~1歳 2,000円/2~12歳 1,000円 - ・受付時間:
平日午前10時~12時/午後1時~5時 - ・ご予約・お問い合わせ:
0120-788-222

TEL:03(3265)7411(代表)
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6番出口(エスカレーター・エレベーターあり)
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「永田町駅」4番出口から 徒歩約8分
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「三宅坂」徒歩1分(本数僅少)宿75(新宿駅西口―河田町―四谷駅前―三宅坂)
「三宅坂」徒歩1分(本数僅少)
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終演時に劇場前より運行します。
東京・新宿方面行き
なるべく公共交通機関をご利用ください。
『妹背山婦女庭訓』は、明和8年(1771)1月、大坂竹田新松座(竹本座)で初演されました。人形浄瑠璃黄金期の最後の名作者と評される、近松半二ほかによる合作です。
中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣(藤原)鎌足が、大豪族・蘇我入鹿を武力によって排除し天皇中心の新政を行った歴史的な事件「大化の改新」を題材として、大和地方に点在する名所旧跡や伝説を巧みに取り入れており、複雑な伏線と鮮やかな謎解きが、洗練された義太夫の演奏により進行し、舞台一面に日本の美しい四季が展開するという豪華な大作です。
第一部は、大序「大内の段」から始まり、久我之助(こがのすけ)と雛鳥(ひなどり)の出会いを描く「小松原の段」、魔人・入鹿が皇位を簒奪(さんだつ)するため非情な陰謀を企てる「蝦夷子館(えみじやかた)の段」と続きます。そして、流浪を続ける天智天皇を匿うことを命じられた鎌足の旧臣・芝六(しばろく)とその一家の悲劇を描く「芝六忠義の段」がみどころの中心となり、大判事清澄(だいはんじきよずみ)と後室定高(こうしつさだか)が邪知深い入鹿から難題を突き付けられる「太宰館の段」までを上演します。
第二部は、入鹿が行う恐怖政治のもと、死を選ばざるを得なかった恋人二人とその親たちの悲劇を描く「妹山背山(いもやませやま)の段」、そして入鹿討伐を目的とする恋人のために犠牲となる酒屋の娘お三輪(みわ)の激しい恋とその結末までを描きます。
物語の発端に当たる大序「大内の段」を98年ぶりに復活し、平成から改元後の初めての文楽公演として総力を挙げて取り組みます。王朝ロマンに彩られた大作の全容をどうぞお見逃しなく!
【初 段】大内の段・小松原の段・蝦夷子館の段
天智天皇の御代、帝は病のために盲目となっており、代わりに政務を司る蘇我蝦夷子が権勢を誇っていました。蝦夷子より帝位を狙っているとの疑いをかけられた藤原鎌足は身の潔白が証明されるまで蟄居することとし、禁裏を去ります。
天皇の寵姫・采女(うねめ)の局に仕える久我之助は、雛鳥という娘と出会い、互いに恋心を抱きます。ところが久我之助は大判事家の嫡男、雛鳥は太宰(だざい)家の一人娘で、仲たがいをしている家同士の子女でした。密かに禁裏を抜け出した采女の局に巡り会った久我之助は、自分の落ち度となるのも厭わずに采女の局を逃れさせます。

(平成28年4月国立文楽劇場)
蘇我蝦夷子は天皇になり替わる野心を抱いていましたが、朝廷からの上使である中納言行主(ゆきぬし)の追及を受け切腹します。仏道に帰依すると見せかけていた入鹿でしたが、妻・めどの方や舅・行主、父を犠牲にすることも厭わず、父を凌ぐ反逆の志を顕わし、混乱に乗じて政権を掌握してしまいます。

(平成28年4月国立文楽劇場)
【二段目】
猿沢池の段・鹿殺しの段・掛乞の段・万歳の段・芝六忠義の段
寵姫の采女の局が入水したと聞いた天皇は猿沢池にたどり着きます。入鹿の挙兵を聞き天皇は力を落としますが、鎌足の嫡男である藤原淡海(ふじわらのたんかい)に励まされ都を離れます。

(平成28年4月国立文楽劇場)
中臣家の旧臣・玄上太郎(げんじょうたろう)は芝六と名乗り、猟で生計を立てていました。芝六は淡海から、入鹿の魔力を封じるために必要な爪黒の牝鹿を手に入れることを命じられ、猟を禁じられている春日神社の鹿を見事に仕留めます。

(平成28年4月国立文楽劇場)
淡海は天皇と側近の公家を、借金取りが押し掛けるような貧しい芝六の家に匿わせています。盲目のため、身の置かれている場所を知らない天皇は、御所にいるつもりで管絃の催しを所望します。淡海は芝六親子に万歳をさせて急場を凌ぎます。

(平成28年4月国立文楽劇場)

(平成28年4月国立文楽劇場)
鹿殺しが発覚し、芝六は代官所に呼び出されますが、芝六の長男・三作(さんさく)は、父に代わって自訴してしまいます。帰宅した芝六は様子を聞き、義理の子・三作を救い、子ゆえに忠義を疎かにしない覚悟を示すために、実子の次男・杉松(すぎまつ)を手にかけてしまいます。芝六の行動を見届けた鎌足は帰参を許し、奪回した神器の力で天皇の視力も蘇るのでした。

(平成28年4月国立文楽劇場)
【三段目】太宰館の段
自ら皇位についた入鹿は、忠誠心の疑わしい大判事清澄には久我之助の出仕を、太宰の後室定高には雛鳥を妃として差し出すように命じるのでした。

(平成28年4月国立文楽劇場)
【三段目】妹山背山の段
久我之助は、父・大判事清澄の怒りを買い、国境の背山の山荘に謹慎していました。雛鳥も久我之助を追って川を隔てた妹山の山荘に来ています。それぞれの山荘に到着した親たちは、それぞれの子に事の次第を話します。久我之助は采女の局の行方を明かさぬため、出仕を拒否して切腹することを選び、雛鳥は久我之助との恋を貫いて入内を拒み死ぬことを選びます。親たちは互いに子が入鹿の命令に従うことにしたという、偽りの合図に桜の枝を国境の川に流します。久我之助が腹を切り、雛鳥の首が打たれた時、親たちは互いの胸の内を悟り、慟哭します。定高は雛飾りを嫁入り道具として娘の首を川に流し、瀕死の久我之助が待つ大判事家に嫁入りさせるのでした。

(平成28年4月国立文楽劇場)

(平成28年4月国立文楽劇場)
【四段目】
杉酒屋の段・道行恋苧環の段・鱶七上使の段・姫戻りの段・金殿の段
杉酒屋の娘・お三輪は、恋人である求馬(もとめ)の家に女が訪れたのを知り、女と争います。そこへ現れたお三輪の母がお尋ね者の求馬を捕えようとすると、女が姿を消したので、求馬は女の後を追い、お三輪もその後を追います。

(平成28年4月国立文楽劇場)
お三輪は二人に追い着き、求馬を巡って再び女と争います。時刻が移り、女が先を急ぐので、求馬は苧環の糸を女の袖に、お三輪は求馬の裾に付け、行方を追っていきます……。

(平成28年4月国立文楽劇場)
入鹿が酒宴を催す宮殿に、漁師の鱶七(ふかしち)が鎌足の使者として乗り込んで来ます。大胆な言動に不審を抱いた入鹿は、鱶七を留め置くのでした。

(平成28年4月国立文楽劇場)
宮殿に戻った女に追い着いた求馬は、女が入鹿の妹・橘姫(たちばなひめ)であると見抜き、夫婦になりたければ入鹿が盗み取った宝剣を奪い返せと迫ります。求馬の正体は藤原淡海でした。兄への恩と恋との間で躊躇う橘姫でしたが、ついに承諾します。

(平成28年4月国立文楽劇場)
お三輪は二人が婚礼を挙げる様子を聞き、御殿に乱入しようとしますが、官女たちに散々になぶられます。受けた辱めや求馬の心変わりに激しい怒りと嫉妬の念を燃やし逆上したお三輪。そこへ立ちはだかった鱶七に突き刺されます。鱶七は実は鎌足の家臣・金輪五郎(かなわのごろう)で、魔人入鹿討伐のために、嫉妬で逆上した女の生き血を求めていたのでした。お三輪は恋人が本望を遂げられることを信じて息絶えます。

(平成28年4月国立文楽劇場)

古都・奈良の伝説
5月文楽公演は、東京では15年ぶりとなる『妹背山婦女庭訓』の通し上演です。
『妹背山婦女庭訓』は、7世紀半ばに起こった、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣(藤原)鎌足による、大豪族・蘇我入鹿の討伐と政治的改革「大化の改新」を題材とした王代物の傑作です。人形浄瑠璃黄金期の最後の名作者と評される、近松半二ほかによる合作で、明和8年(1771)大坂竹田新松座(竹本座)で初演されました。初演時の番付などに記された外題(タイトル)の角書に「十三鐘/絹懸柳」とあるように、本作には大和地方(現在の奈良県周辺)に点在する名所旧跡や伝説が巧みに取り入れられています。
以下では、作品の舞台となった旧跡や物語に用いられている伝説をご紹介します。
猿沢池と衣掛柳(二段目「猿沢池の段」)
奈良公園内(奈良市)にある猿沢池には、奈良時代のある女性の悲劇的な物語が残されています。
奈良の帝に仕えていた采女(うねめ)は、帝からの寵愛を失ったことを嘆き、猿沢池に身を投げてしまいます。池のほとりには、入水の際に采女が衣を掛けたとされる「衣掛柳」といわれる柳の木があります。また、池の西側に建てられた采女神社は、「池を見るにしのびない」と一夜にして池に背を向けたと伝えられています。采女の物語は、『大和物語』に記述があり、能の作品にもなりました。
「采女」とは、元来は宮中で帝に仕える女官のことですが、『妹背山婦女庭訓』では、天智天皇の寵愛を受ける中臣鎌足の娘の名前とされています。作中で語られる采女入水の真相とは……?

(写真提供:奈良市観光協会)
十三鐘(二段目「芝六忠義の段」)
奈良市にある興福寺菩提院大御堂、通称「十三鐘」の正面には、「伝説三作石子詰之旧跡」と書かれた木標が立てられ、「鹿殺し」にまつわる伝説が、「十三鐘」の名称の由来として伝えられています。
その昔、興福寺で手習いをしていた三作という小僧が、誤って鹿を殺してしまいます。春日大社(奈良市)付近に生息する鹿は神の使いとされ、当時、「鹿殺し」は決して許されない大罪でした。三作も石子詰(罪人を死んだ鹿と抱き合わせで穴に入れ、石で生き埋めにする)の刑になりました。それを悲しんだ三作の母が、息子の亡くなった年齢に合わせ、明け七つ(午前4時前後)と暮れ六つ(午後6時前後)に鐘をついて供養したので、十三鐘と名付けられたと言われています。
『妹背山婦女庭訓』二段目は、この伝説が取り入れられ、猟師芝六一家の悲劇が描かれます。
妹山背山(三段目「妹山背山の段」)

『妹背山婦女庭訓』の「妹背山」とは川を隔てて向かい合う二つの山のことです。奈良県吉野町の吉野川を挟んで北岸の妹山と南岸の背山、和歌山県北部かつらぎ町の北岸の背山と南岸の妹山の二か所が歌枕として有名でした。
『妹背山婦女庭訓』では、吉野川を隔て、大判事家の所領である背山は紀伊国、太宰家の所領である妹山は大和国としています。三段目では、川を挟んだ両家の下屋敷で、二組の親子の物語がそれぞれ進行します。

三輪山伝説と大神神社(四段目「杉坂屋の段」「道行恋苧環」)
奈良県桜井市にある大神神社は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祭神とし、三輪山をご神体とする神社です。『古事記』には三輪山について次のような伝説が書かれています。
三輪山付近に住む活玉依姫(いくたまよりひめ)という美しい乙女の元に、夜毎に通う高貴な男がいました。やがて姫は懐妊し、それを怪しんだ姫の親は、姫に苧環(糸巻き)に巻いた麻糸を通した針を男の着物の裾に刺すよう命じます。翌朝、糸を辿っていくと三輪山の神の社にたどり着いたので、その男の正体が大物主大神であったことが分かりました。苧環に糸が三勾(みわ、三巻)残っていたので、この地を「三輪」と名付けたということです。

(写真提供:一般社団法人奈良県ビジターズビューロー)
また、大物主大神は酒造りの神と称えられています。古来、杉板や杉葉が酒の醸造に用いられたことから、大神神社のご神木である三輪杉の葉を球状に束ねた杉玉を酒屋の軒に吊るしてお守りとし、酒屋の看板とする風習が生まれました。
『妹背山婦女庭訓』四段目に登場する杉酒屋の娘・お三輪の悲恋の物語には、三輪山伝説が随所に利用されています。

複雑な伏線と鮮やかな謎解きが、洗練された義太夫の演奏により進行し、舞台一面に日本の美しい四季の景色が展開する『妹背山婦女庭訓』。作者たちは、悠久の都・奈良の伝説をどのように用いて、王朝ロマンに彩られたこの大作を作り上げたのか。ぜひ劇場でご堪能ください。
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