歌舞伎公演ニュース

2018年3月14日

くろごちゃんが紹介!
3月歌舞伎公演『梅雨小袖昔八丈―髪結新三―』
江戸時代のアパート!?「長屋」

 3月歌舞伎公演は、“四代にわたる芸の継承”をテーマに、『増補忠臣蔵(ぞうほちゅうしんぐら)』『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』を上演しています。

 『梅雨小袖昔八丈―髪結新三(かみゆいしんざ)―』は、深川富吉町の長屋に暮らす廻り(出張専門)の髪結い新三が、材木問屋の娘お熊と恋仲の手代忠七を利用して一儲けしようと画策する様子を描いた世話物の名作です。目論み通り、お熊を自分の長屋に連れ込んだ新三でしたが、長屋の大家の登場で話は思わぬ方向へと展開します……。
 今回、新三も暮らした江戸時代の「長屋」について、くろごちゃんが史料を交えながら紹介します。

■バックナンバー くろごちゃんの解説シリーズ
◇『増補忠臣蔵』が何倍も楽しめる!『仮名手本忠臣蔵』あらすじ紹介
https://www.ntj.jac.go.jp/kabuki/news/3135.html
◇『梅雨小袖昔八丈』江戸時代の理髪師「髪結い」
https://www.ntj.jac.go.jp/kabuki/news/3140.html



二幕目 元の新三内の場
(中央:尾上菊之助の髪結新三、右:片岡亀蔵の家主長兵衛、左:中村萬太郎の下剃勝奴)


付き人:(劇場ロビーにて)うわぁ、面白かった~! 菊之助さんが初役で勤めている「髪結新三」。江戸の市井の風俗がリアルに描かれていたね~。それにしても、コワモテの親分には凄みを見せていた新三が、どうして長兵衛には押され気味だったのかなあ?

(⌒v⌒;):あれっ、付き人さんったら、ちゃんとセリフを聞いてなかったの!? 新三にとって長兵衛は、借りている長屋の家主(いえぬし)、つまり大家さんだからだよ。ほら、次の写真を見て! これは天保年間(1830~1844)の深川佐賀町(今の江東区佐賀)の長屋を再現したものだよ。


 
再現された長屋(裏長屋)の様子(写真提供:江東区深川江戸資料館)


付き人:路地裏に横長に伸びているのが長屋かな? 一棟がいくつかの部屋に仕切られているね。思っていたより、ずっと狭いんだね!

(⌒v⌒):「長屋」は、江戸時代の庶民が暮らした代表的な住居で、現在の団地やアパートなどの集合住宅の原型とも言われているよ。江戸時代の町人の大半は借家住まい(「店借り(たながり)」)で、その多くがこうした長屋を借りていたんだ。新三が暮らしていたのは表通りから引っ込んだ路地裏の長屋(「裏長屋」)の一室。舞台では広々と見えるけれど、実際は“九尺二間(くしゃくにけん)”とも呼ばれるように、間口九尺(約2.7m)×奥行二間(約3.6m)つまり6畳程度が普通だったみたいだよ。

付き人:なるほど~。同じ一棟の建物だから、新三が押し入れに閉じ込めたお熊の泣き声も、隣近所へ筒抜けだったのか!

(⌒v⌒):そうだね。舞台で、新三の隣近所に住む権兵衛さんが「只(ただ)でせぇ年のせぇで寝られないところへ、女の泣き声が耳につき、飛んだお通夜をしてしまったよう」と愚痴っていたよね。こうした裏長屋には、大工や左官、屋根ふきや髪結いなどの職人、野菜や貝のむき身などを売り歩く「棒手振り(ぼてふり)」など、いろんな人が住んでいたらしいよ。

付き人:それにしても、6畳くらいだとトイレとかはどうしてたのかな?

(⌒v⌒):このほかに、井戸と共同便所、ゴミ溜めなど長屋住民の共有スペースもあったんだ。今風に言えばシェアリング・エコノミーだね。限られたスペースながらコンパクトに生活していたんだ。次の浮世絵(おもちゃ絵)には当時の生活道具が紹介されていて、江戸時代の庶民の暮らしぶりがうかがえるよ。

 
(左)再現された長屋の井戸ほか(写真提供:江東区深川江戸資料館)
(右)芳虎「新板かつて道具尽」安政4年(1857)刊(国立国会図書館所蔵)


付き人:へぇ~、時代劇とかで見たことのある物も多いね。そう言えば今回の舞台でも、小道具が江戸時代の生活感をリアルに伝えてくれていたね。ところで、新三の暮らしている深川というのはどんな所だったのかなあ?

(⌒v⌒):新三の暮らしている深川富吉町は、今の江東区佐賀一丁目・永代一丁目のあたりで、隅田川の河口に近い町屋。漁業に従事している人が多かったらしいよ。次の絵は、かつて隅田川に架かっていた「大はし」の風景と、深川一帯を描いた地図だよ。

 
(左)歌川広重 画「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」安政4年(1857)刊
(右)「江戸切絵図 深川絵図」嘉永2年~文久2年(1849~1862)刊
(いずれも国立国会図書館所蔵)

 
(左)序幕 永代橋川端の場(右:尾上菊之助の髪結新三、左:中村梅枝の白子屋手代忠七)
(右)歌川国綱 画「江戸名所 永代橋の風景」(国立国会図書館所蔵)


付き人:へぇ~、まさにこの広重の絵みたいに雨の降る橋の川端で、新三は忠七を傘で叩いて置き去りにしていたね。川風に吹かれながら颯爽と橋を渡る新三の姿に惚れ惚れしたよ!

(⌒v⌒):そうだね! お熊は、新材木町(今の日本橋方面)にあった白子屋から、駕籠に乗せられて、隅田川をはさんだ新三の長屋に送り込まれるんだ。目論み通りにいった新三は、永代橋を渡る前に、邪魔になった忠七を放り出したかったんだろうね。次の地図を見れば、各場面の位置関係が一目瞭然だよ。


『梅雨小袖昔八丈』関連MAP(文化デジタルライブラリー「黙阿弥」より


付き人:へぇ~、左上の白子屋見世先から、永代橋川端、富吉町新三内、深川閻魔堂橋へと南東のほうへと場面が移り変わっていくんだね!

(⌒v⌒):そうだね! お熊を自分の長屋にうまく連れ込んだ新三だったけど、家主の長兵衛が乗り込んできて、話が思わぬ方向に……! 長兵衛は「大家さん」とも呼ばれていたよね。

付き人:大家さんって、当時はどんな存在だったのかな?

(⌒v⌒):江戸時代の大家さんは、借家人(「店子(たなこ)」)たちの面倒を色々とみてあげていて、単に家賃を取り立てるだけのドライな関係ではなかったんだ! 「店子と言やァ我が子も同然だ」という長兵衛のセリフからも聞き取れるね。私生活の世話や法令の読み聞かせ、結婚・離婚・出生・死亡等の手続きから旅行に必要な手形発行の手続きまで、さまざまな役目があったそうだよ。また、五人組という組織を作り、月毎に当番(「月行事(がちぎょうじ)」)を決め、町の「自身番」(今日の行政機関の出張所兼交番のようなもの)で、長屋だけでなく町内の行政事務も担っていたそうだよ。



家主(大家)は「月行事」として町内の行政事務も担っていた
山東京伝 作、北尾政演 画『孔子縞于時藍染』(国立国会図書館所蔵)


付き人:なるほど。大家さんと店子たちは、ある意味、親子のような関係だったんだね!

(⌒v⌒):だから、大家さんの長兵衛は、店子の新三より立場が上なんだ。二人のやり取りを見ていた車力の善八が「名に負う弥太五郎源七さんが恐れて帰った新三さんも、大家さんの前じゃ猫に逢った鼠のようだ」と言うセリフに、その感じがよく表れているよね。新三も「俺もよっぽど太ぇ気だが、大家さんにゃァ叶わねぇ」とすっかり意気消沈。畳みかけるように大家さんの女房も出てきて「店賃の滞りが、二両ありますよ」と新三に未納の家賃を取り立てる有り様!

付き人:今思い出しても、あそこの掛け合いは面白くてしょうがなかったね! いろんな表情を見せてくれる菊之助さんの新三、もう一度みたくなってきちゃった!

(⌒v⌒):うん! 菊之助さんの長男・寺嶋和史くんも、新三にからむ丁稚(でっち)の役を元気いっぱいに演じているよ。親子共演にもぜひ注目してね!


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