平成31年3月歌舞伎公演【小劇場】3月3日[日]~27日[水]

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元禄忠臣蔵 二幕五場 御浜御殿綱豊卿

積恋雪関扉 常磐津連中

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12年ぶりに実現する小劇場での歌舞伎公演!平成最後の春に花開く、美しい「桜」で彩られた二作品

『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』

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『積恋雪関扉』

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主な配役

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  • 動画_中村扇雀からのメッセージ
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  • 中村扇雀の徳川綱豊卿
  • 中村扇雀の徳川綱豊卿

3月の国立劇場歌舞伎公演は、12年ぶりとなる小劇場での上演です。

2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を契機に、〝日本の美〟〝日本人と自然〟をテーマに全国で展開される文化芸術の祭典「日本博」にちなみ、古来日本人に愛され、日本人のこころに寄り添う「桜」が印象に残る二作品を取り上げ、平成最後の春を彩ります。

演者の息遣いが身近に感じられる濃密な空間で、歌舞伎の魅力をご堪能ください。

『元禄忠臣蔵―御浜御殿綱豊卿―』
あらすじ・見どころ

~赤穂浪士に寄せる
徳川綱豊の秘めた思い~

主人公は徳川綱豊(とくがわつなとよ)、後の六代将軍・家宣(いえのぶ)。時は元禄15年(1702)3月――赤穂藩主・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城内で吉良上野介(きらこうずけのすけ)に刃傷に及んで切腹してから1年後。舞台は「お浜遊び」という催しの最中の綱豊の屋敷(現・浜離宮)です。

中村扇雀の徳川綱豊卿

招待客の一人である吉良を、主君の敵(かたき)として狙う赤穂浪士・富森助右衛門(とみのもりすけえもん)。彼は、綱豊の側室で妹のお喜世(きよ)と御祐筆(ごゆうひつ)の江島(えじま)の口添えにより、綱豊から催しの隙見(すきみ)を許されます。

学問の師・新井勘解由(あらいかげゆ)との対話で、討ち入りを支援したいという思いを強くした綱豊は、浪士らの真意を探るため、助右衛門を座敷へ招きます。綱豊と助右衛門―両者の丁々発止の問答が繰り広げられます。綱豊は、明日にでも将軍家へ浅野家再興を申し出る旨を助右衛門に告げます。御家の再興が決まれば復讐の機会を失うと焦った助右衛門は、宴中で能を舞う予定の吉良を闇討ちにしようとしますが……その早計を予見していた綱豊は助右衛門を押し止め、満開の桜の下で討ち入りの大義を説きます。

名台詞の応酬、量感のある美しい舞台装置など、新歌舞伎の魅力が満載の舞台です。今回は、扇雀が綱豊に初役で挑みます。また、又五郎が18年ぶりに勘解由を勤めるほか、歌昇の助右衛門、虎之介のお喜世など新鮮な配役でご覧いただきます。

中村扇雀の徳川綱豊卿

作者・真山青果について

大正から昭和にかけ、新歌舞伎の名作を残した真山青果(まやませいか)。本名は彬(あきら)と言い、明治11年(1878)に仙台で生まれました。真山家はもと仙台藩士の家柄で、父は小学校長も務めた教育者でした。旧制第二高等学校医学部に進みますが、小説家を志して上京。自然主義の作家として一躍文名を上げました。その後、一時文壇を遠ざかりますが、初代喜多村緑郎(きたむらろくろう)の誘いで劇界に入り、新派の脚本執筆や脚色をします。『玄朴と長英』をはじめ、『平将門』や『江戸城総攻』などの史劇を次々に発表し、劇作家として確固たる地位を築きました。

昭和9年から昭和16年(1934~1941)にかけて発表した連作『元禄忠臣蔵』(全10編)は、そのほぼすべてが二代目市川左団次によって初演されて好評を博し、現代に至るまで上演され続ける人気作品となっています。聞く人の胸を打つ台詞、火花を散らす登場人物たちの対話、重厚で巧みな舞台展開は、多くの名優によって洗い上げられ、古典に劣らぬ魅力をたたえています。今回上演する「御浜御殿綱豊卿」は連作の第5編に当たり、特に人気の高い場面です。六代将軍・徳川家宣である徳川綱豊を主人公に、正々堂々たる討ち入りへの綱豊の熱い思いが浮き彫りにされます。

膨大な史料の調査と綿密な考証を踏まえて、数々の傑作を生みだした青果。新たな視点で赤穂浪士の討ち入りを血の通った人間ドラマとして書き上げた傑作を、俳優の息遣いが間近に味わえる小劇場で存分にお楽しみください。

  • 大正11年(1922)頃の浜離宮
    『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』(国立国会図書館所蔵)
  • 大正11年(1922)頃の浜離宮
    『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』(国立国会図書館所蔵)
  • 新井白石
    『大日本全史』(国立国会図書館所蔵)

真山青果(まやませいか)が多くの史料を紐解いて描き出した『元禄忠臣蔵』の世界。今回上演する場面「御浜御殿綱豊卿」の主人公・徳川綱豊(とくがわつなとよ)(後の六代将軍・家宣)や新井勘解由(あらいかげゆ)(白石)は、歴史上に実在する人物でもあります。以下では、史実の二人について、また、本作の舞台となった現・浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)についてご紹介します。

大正11年(1922)頃の浜離宮『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』(国立国会図書館所蔵)

徳川綱豊と新井勘解由

徳川綱豊(1662-1712)は甲府藩主・徳川綱重(つなしげ)の長男として生まれました。父の綱重は三代将軍・徳川家光(いえみつ)の三男で、綱豊は家光の孫に当たります。五代将軍・綱吉(つなよし)が後継ぎに恵まれず、次期将軍候補が取りざたされる中、その一人として浮上することになった綱豊ですが、おじの綱吉との関係は良好でなかったとも言われています。

綱豊は綱吉の養子となって家宣(いえのぶ)と称し、宝永6年(1709)に将軍の座に就くことになりました。将軍となった綱豊(家宣)は、学問の師だった新井白石(はくせき)を重用して政治刷新を図り、綱吉時代の「生類憐みの令」を廃止するなど、様々な改革に乗り出します。しかし、わずか3年後の正徳2年(1712)、病のために世を去りました。本作では、微妙な立場に置かれた綱豊が、政治に無関心を装い、遊楽にふける姿が描かれています。

新井白石『大日本全史』(国立国会図書館所蔵)

新井勘解由(1657-1725)は、江戸時代中期の著名な儒学者であり政治家です。白石(はくせき)は号で、名を君美(きんみ)と言いました。幼い時から学問に並外れた才能を示したと伝えられています。多くの逸材を輩出した儒学者・木下順庵(きのしたじゅんあん)のもとで学び、元禄6年(1693)にその推挙で甲府藩主・甲府徳川家に仕えたのが綱豊との出会いでした。その後、将軍となった綱豊(家宣)のもとで活躍し、儒教的理想主義に基づいた政策を推し進めました(「正徳の治(しょうとくのち)」)。しかし、綱豊(家宣)とその子・家継(いえつぐ)が相次いで世を去り、吉宗(よしむね)が将軍となると失脚。晩年は著述に励み、静かに生涯を終えました。

理想に燃えて熱く語り合った綱豊と勘解由。舞台の上でも厚い信頼関係で結ばれた二人の対話に、ぜひご注目ください。

大正11年(1922)頃の浜離宮『東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖』(国立国会図書館所蔵)

現・浜離宮恩賜庭園
(東京都中央区)について

本作の舞台となった綱豊の屋敷、御浜御殿は現在の浜離宮恩賜庭園です。

この辺り一面はもともと葦や笹の生い茂る湿地帯で、将軍家の鷹狩場でした。承応3年(1654)、将軍の許しを得て海を埋め立て、初めて屋敷を建てたのが綱豊の父・綱重でした。その後、綱豊(家宣)が六代将軍になると将軍家の別邸となり、以来、歴代将軍によって造園・改修が行われ、現在の姿の庭園が完成しました。本作に描かれた華やかな「お浜遊び」の様子からは、当時の情景が鮮やかに浮かび上がってきます。明治維新後は皇室の離宮となり、名称も浜離宮に変わり、戦後は公園として整備されました。国の特別名勝及び特別史跡に指定され、東京に現存する数少ない大名庭園の一つとして親しまれています。

園内には、潮入の池と二つの鴨場があります。潮入の池とは、海水を導き、潮の満ち引きを利用することで池の趣を変えるものです。現在も、東京湾の海水が水門を通して出入りしています。

四季折々に豊かな表情を見せる庭園。本作では、満開の桜の下、綱豊が討ち入りの大義を説きます。春の訪れを感じさせる3月、舞台の余韻に浸りながら、園内をゆっくりと散策されてみるのはいかがでしょうか?

浜離宮恩賜庭園HP(外部サイトへリンク)
  • 尾上菊之助の関守関兵衛実ハ大伴黒主
  • 尾上菊之助の関守関兵衛実ハ大伴黒主
  • 左から小町姫、関兵衛、宗貞
    『積恋雪関扉』(安政5年11月市村座)三代目歌川豊国画
    (国立劇場所蔵)NA040310
  • 左から黒主、小町桜の精
    「積恋雪関扉」(明治1年9月守田座、中村座)豊原国周画
    (国立劇場所蔵)NA090260

3月の国立劇場歌舞伎公演は、12年ぶりとなる小劇場での上演です。

2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を契機に、〝日本の美〟〝日本人と自然〟をテーマに全国で展開される文化芸術の祭典「日本博」にちなみ、古来日本人に愛され、日本人のこころに寄り添う「桜」が印象に残る二作品を取り上げ、平成最後の春を彩ります。

演者の息遣いが身近に感じられる濃密な空間で、歌舞伎の魅力をご堪能ください。

『積恋雪関扉』
あらすじ・見どころ

~逢坂の関を守る怪しい男・
関兵衛の正体は……!?~

舞台は雪中に小町桜が咲く逢坂の関(おうさかのせき)(山城国と近江国の国境)。大伴黒主(おおとものくろぬし)は仁明(にんみょう)天皇の崩御に乗じ、謀反を企てていました。その陰謀を暴こうとした良峯少将宗貞(よしみねのしょうしょうむねさだ)は左遷され、関の近くで侘しく暮らしています。そこへ、宗貞と恋仲の小野小町姫(おののこまちひめ)が訪れ、関守の関兵衛(せきべえ)は二人の馴れ初めを聞き出しますが……小町姫は関兵衛の素性を怪しみます。

尾上菊之助の関守関兵衛実ハ大伴黒主

関兵衛は、小町桜を伐って護摩木(ごまぎ)にして祈れば、天下掌握の大願が叶うと悟り、桜を伐ろうとします。すると、宗貞の弟・安貞(やすさだ)の恋人であった傾城墨染(けいせいすみぞめ)が関兵衛に近付きます。墨染は実は小町桜の精で、安貞を殺害した黒主に復讐するために現れ、関兵衛に本名を明かすよう迫ります。ついに関兵衛は、謀反人の黒主であると名乗り、黒主と小町桜の精は対峙します。

尾上菊之助の関守関兵衛実ハ大伴黒主

関兵衛と小町姫の問答、宗貞を交えた三人の大らかな手踊り、盃に映る星の影を見た関兵衛が謀反の時節を知る件、黒主と墨染との激しい争いなど、全篇がみどころに溢れています。衣裳を一瞬にして変化させるぶっ返りや、海老反りになった小町桜の精に巨大な鉞(まさかり)を振りかざす黒主の迫力溢れる姿も必見です。さらに、大曲とされる常磐津節(ときわづぶし)も聴き逃せません。

左から黒主、小町桜の精 「積恋雪関扉」(明治1年9月守田座、中村座)豊原国周画(国立劇場所蔵)NA090260

尾上菊之助の関兵衛実ハ黒主、中村梅枝の小町姫・墨染実ハ小町桜の精、中村萬太郎の宗貞と、初役揃いの顔触れでお楽しみください。

左から小町姫、関兵衛、宗貞 『積恋雪関扉』(安政5年1月市村座)三代目歌川豊国画(国立劇場所蔵)NA040310
  • 大伴黒主
    豊原周延画(メトロポリタン美術館所蔵)
  • 左から小町姫、関兵衛、墨染ノ霊、宗貞
    『積恋雪関扉』(明治12年1月新富座)豊原国周画
    (国立劇場所蔵)NA031050
  • 上左から業平、小町、黒主
    下左から喜撰、康秀、遍照
    『六歌仙體綵』初代歌川国貞画
    (国立劇場所蔵)NA060030
  • 小町と黒主 『六歌仙体綵』初代歌川国貞画(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
    請求記号:M242-6-4/東M242-006-004

大伴黒主と「六歌仙」

歌舞伎舞踊の傑作として知られる『積恋雪関扉』。本作にその名を見せる大伴(大友)黒主(おおとものくろぬし)は、平安時代の謎多き人物です。日本で初めての勅撰和歌集『古今和歌集』の序文で、黒主は代表的な歌人(六歌仙)の一人に数えられていますが、「大友黒主はそのさまいやし。いはば薪(たきぎ)負へる山人の花の蔭(かげ)に休めるがごとし」と評されています。本作の冒頭には、このイメージを踏襲するかのように、桜の木の下で薪に寄りかかって居眠りする関兵衛(黒主)が登場します。

大伴黒主豊原周延画(メトロポリタン美術館所蔵)

同じく六歌仙に名を連ねる小野小町(おののこまち)は、絶世の美女として知られます。また、本作に良峯少将宗貞(よしみねのしょうしょうむねさだ)の名で登場する僧正遍照(そうじょうへんじょう)は、桓武天皇の孫という高貴な生まれながら、出家して僧となり、僧官の最上位である僧正にまで昇りつめたと伝えられる人物です。

「六歌仙」

平安時代前期の代表的歌人

僧正遍照(そうじょうへんじょう)
在原業平(ありわらのなりひら)
文屋康秀(ふんやのやすひで)
喜撰法師(きせんほうし)
小野小町(おののこまち)
大伴(大友)黒主(おおとものくろぬし)

上左から業平、小町、黒主、下左から喜撰、康秀、遍照『六歌仙體綵』初代歌川国貞画(国立劇場所蔵)NA060030

六歌仙のうち、正体のはっきりとしない黒主や小町は、物語のなかで様々に描かれてきました。謡曲『草子洗小町(そうしあらいこまち)』では、黒主は小町を貶(おとし)めようとして失敗する滑稽な悪人として描かれています。また、歌舞伎舞踊『六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)』でも悪役として登場します。本作では、関守に身をやつして、天下を狙う謀反人として描かれています。

小町と黒主 『六歌仙体綵』初代歌川国貞画(都立中央図書館特別文庫室所蔵)請求記号:M242-6-4/東M242-006-004

逢坂の関

本作の舞台である逢坂の関(おうさかのせき)は、山城国(やましろのくに)(現在の京都府南部)と近江国(おうみのくに)(現在の滋賀県)の境にある逢坂山(おうさかやま)の峠に設けられた古代の関所です。都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝でした。逢坂山の北は比叡(ひえい)・比良(ひら)の連山に、南は音羽山(おとわやま)に続くくぼみをなし、この山越えを逢坂越えと言いました。平安時代から蝉丸法師や清少納言など多くの歌人に詠まれ、歌枕の地としても有名です。中世頃には、「三関」の一つとして、岐阜の不破の関(ふわのせき)、福島の白河の関(しらかわのせき)とともに並び称されました。現在、付近には記念公園が整備され、歴史散策をする人々の憩いの場となっています。

江戸時代には全国の主要街道ごとに34ヶ所以上の関所が設けられ、旅行者は武士・町人を問わず関所手形(関所切手)がなければ、通行できませんでした。もしこの手形を持っていないと、山間の抜け道を通ったり、実力で打ち破ったりといった、いわゆる「関所破り」の重罪を犯すことになります。

本作の前半では、関守に身をやつした黒主が、逢坂の関を訪れた小町姫を問いただします。関兵衛と小町姫の問答から、小町姫と宗貞が語る二人の馴れ初め、そして、関兵衛を加えた三人の大らかな手踊りへと、舞台は華やかに展開します。

左から小町姫、関兵衛、墨染ノ霊、宗貞『積恋雪関扉』(明治12年1月新富座)豊原国周画(国立劇場所蔵)NA031050