初代国立劇場を語る ⑳
歌舞伎を知ってもらう
使命感中村梅玉

国立劇場の意義
歌舞伎はもともと大衆芸能から出発しているわけですけど、明治時代に九代目(市川團十郎)さんたちが天覧劇として歌舞伎を観ていただいて、さらに、父(六代目中村歌右衛門)の世代で国立劇場ができたことによって、歌舞伎の芸術性が認められた感じがするのです。ユネスコの世界無形文化遺産に登録されたのもその成果ではないでしょうか。ただ、芸術至上主義のようになってしまうのはどうかと思いますが。
駄目出しの思い出
最初のうちは国立劇場へは、父が座頭(ざがしら)の時にいろいろな役で出させていただきました。最初に出たのは『妹背山婦女庭訓』(昭和44年)の求女役ですね。通しだったのだけど、道行の求女は(三代目)左團次のおじさんがなさった。我々兄弟(弟の現・魁春が橘姫で共演)は「姫戻り」だけでした。その時父からは、左團次さんの求女を手本にしなさいって言われて、毎日、全然できてないと怒られていました。そりゃ左團次のおじさんと同じにはできない、まだ20代の若造がね(笑)。最初に国立劇場に出た思い出はまさにそれです。
もう一つ思い出すのは、どうしてもやりたかった『桐一葉』の木村長門守。過去のレコードをずっと聞いていて「ああこれはいい芝居だな、いずれこういう役ができたらいいな」と若い頃からずっと思っていましたので、それが実現したのがすごく嬉しかった(昭和53年)。片桐且元は、大先輩の十七代目の橘屋のおじさん(市村羽左衛門)。書院の場面で弁舌爽やかにやるところももちろんいいのだけど、やっぱり、あの長柄堤の場面って良い場面だよね、本当に。最後に馬に乗って長門守は花道に入っていく、それを且元が呼ぶ。あんなに気持ちのいい引っ込みはない。初役でやらせていただいたのは、ものすごく強烈な思い出ですね。みんなとも、いい芝居だから新しい国立劇場ができたらまたやろうなんて話しています。

梅玉(当時は八代目福助)の木村長門守、十七代目市村羽左衛門の片桐市ノ正且元
『桐一葉』長柄堤訣別
(昭和53年(1978)12月 第95回歌舞伎公演)
大好きな役
国立劇場が募集している新作歌舞伎脚本の入選作『斑雪白骨城』を上演した時(平成15年)のこともよく覚えています。歌舞伎鑑賞教室ではない本公演で、初めて自分が座頭になった公演で、しかも演出も担当しました。だから、一から作り上げてお客様に見ていただいたという思い出です。森英恵先生が、夢の場面で使う衣裳デザインを担当してくださって、それもものすごくインパクトがあったし、作者の岩豪友樹子さんの台本もよくまとまっていましたね。

梅玉の黒田如水、片岡孝太郎の鶴姫
『斑雪白骨城』凶首塚
(平成15年(2003)3月 第234回歌舞伎公演)
『伊勢音頭恋寝刃』は、梅玉の襲名披露狂言でもあるのですが、国立劇場の本公演で、通しで2回も主役の貢を演じられたのは、一生の中でも財産になっていて、自分にとって大きな喜びですね。ほかにも、大好きな『番町皿屋敷』の青山播磨を大きな劇場で初めて演じたのは国立劇場でしたし、『其小唄夢廓』の白井権八や『与話情浮名横櫛』の切られ与三郎も初役で勤めさせてもらいました。
『沓掛時次郎』(平成29年)は、面白いお役で、自分でもいい芝居だなあとは思ったけど、周りからすごく良かったって言ってもらえました。自分がやりそうもないお役だったので、逆にやりがいがあって面白かった。うちの家内なんかはパソコンの画面をいまだに沓掛時次郎にしているんです(笑)。あの時の市村橘太郎さんと中村歌女之丞さんの老夫婦が実によかったね。それから大河くん(尾上左近)の坊やも。ああいう周りの役の良さを思うと、歌舞伎ってやっぱり調和、アンサンブルが大事ですね。

梅玉の沓掛時次郎
『沓掛時次郎』(平成29年(2017)11月 第305回歌舞伎公演)
嬉しい反応
若い皆さんに歌舞伎を知ってもらわなければいけないっていう使命感を、役者はみんな持っています。だから、国立劇場の鑑賞教室はものすごく良い取り組みですね。実際、この鑑賞教室を学生時代に見に行って、それから成人して、また歌舞伎を好きになりましたっていう声を何度も聞いているし、本当にこれは意義のあることだと思いますね。
これは最近だけど、『傾城反魂香』(平成26年)を鑑賞教室で初めてやらせていただいた時にね、もちろん学校によっては、ほとんどの学生さんが寝ていたり、おしゃべりしたりだけど、ある学校の学生さんたちが、芝居で絵が浮き出てくるときに、「わーやったやった」って。描く前も「がんばって」なんて、本当に舞台にのめり込んでいるようで、あれは何だか嬉しかったね。そうやって反応があるっていうのは、一般のお客様や歌舞伎の見巧者の方たちに褒められるのももちろんありがたいことだけれど、若い人たち、いわば何にも知らない人たちが、歓声あげて喜んでくれたっていうのは、役者冥利でした。
養成研修
あと、国立劇場の仕事としてはなんといっても役者の養成研修ですよね。歌舞伎俳優っていうのは300人ぐらいだけれど、今じゃそのうちの3分の1位は研修出身の人たちなんじゃないかな。これも本当に良い取り組みです。いま応募者が少なくなっているけど、歌舞伎にはもっと役者がいないといけないので、これから先もぜひとも続けてほしいと思っています。
〈初代国立劇場を語る
/歌舞伎を知ってもらう使命感 中村梅玉〉