初代国立劇場を語る ⑱
国立演芸場の思い出柳家小さん

初代国立演芸場スペシャル
昭和54年に国立演芸場ができたときはもう真打になっていました。その前、二ツ目のときから、先輩の師匠方が国に要請していることは知っていました。演芸場が出来て早々の4月に「古典落語を聞く会」に出してもらいました。初めて見た第一印象は「奇麗だな」、と思いましたね。「寄席」というより「劇場」という印象。お客様は最初あまり入ってなかった(笑)。でも国でしっかり見てくれているのはありがたいと思いましたね。
国立演芸場出来てしばらくしたらもう、寄席の一つのパターンとなっていたね。ほかのいわゆる寄席とはもちろん違うけれども、国立演芸場はただお客様をよぶだけではなく、これが寄席、これが落語、というのを見てもらいたいというのでやっていると思う。国立だからできるものというのもありますからね。
国立演芸場の公演では平成12年の「(五代目)小さん一門会」というのがありました。また平成17年の「懐かしの映像とともに」というのもありましたね。平成13年に亡くなった五代目の映像上演があって、私は『粗忽長屋』をかけました。 平成18年9月・10月は各寄席で「六代目小さん」襲名、11月には松竹の興行で地方をまわって、12月には国立演芸場でも襲名披露興行をやらせていただきました。
国立演芸場では独演会を何回か主催しています。芸術祭参加の会では山田洋次監督が父親に書き下ろした「真二つ」と「目玉」という新作落語で芸術祭賞をもらいました。新作といっても設定は古典として書かれているので、やりづらいということはなくて、寄席でもトリの時などにはよく高座にかけています。
日本演芸家連合では副会長という立場です。東京、大阪の14の演芸団体の集まりということも意外と知れ渡っていません。想像以上に難しいものです。若い世代にもっと浸透させて行きたいですね。
連合としては毎年5月1日から10日に「大演芸まつり」を開催しています。忘れられないのは去年の5月の「大演芸まつり」で、金翁師匠、夢太朗師匠、澤孝子師匠と4人で口上をやりました。10日のトリが澤師で、終わってからご自分でもご機嫌で、今日は声も出ていてとても良い出来だったとお弟子さんにもおっしゃって、その十日ほど後にお亡くなりになった。本当に素晴らしい舞台でした。
国立演芸場主催で10月に恒例の「演芸大にぎわい」にも連合が協力しています。特色のあるバラエティーに富んだ座になると思いますのでどうかお楽しみに。
寄席は若い人とベテランでうまく回っていると思います。寄席に来るお客様にしても、若い人が出て、若いお客様が来て若い人のやり方でうけている。合間に金翁師匠みたいな大師匠が出ると年配のお客様はほっとする。歌でも何でも古いものがすたれないのは若い人がいいと思うからです。落語も、若い人がみんながやらない話を掘り返してやると、それはそれで面白い話になります。新作を作るとしても、たとえば円丈さんは形としてまとまるまでは10年かかる、簡単に面白くないとか言ってもらいたくないと吠えてましたね(笑)。そのとおりだと思います。古典も最初から古典じゃないし、噺も自分が若い時と今とでは変わってきています。うけ方も変わっていくし、みんなも時代に合わせてやっていく、それの繰り返しです。
国立演芸場は閉場で“無くなる”のではなく“新しく出来る”ということ。でもすぐ出来る訳じゃない。今の国立演芸場にも不服はないけれど、我々世代からしたら建替えは十年後にしてもらいたいけどね。どうせなら(笑)。新しい国立演芸場は本当に楽しみです。それだけを楽しみにあと何年でしょうか、杮落としにはぜひお目にかかりたいと思います。
〈初代国立劇場を語る-初代国立演芸場スペシャル
/国立演芸場の思い出 柳家小さん〉