初代国立劇場を語る ⑰
国立演芸場の思い出三笑亭夢太朗

初代国立演芸場スペシャル
国立演芸場開場
国立演芸場の開場は当時の春風亭柳昇師匠、三遊亭金馬(金翁)師匠、柳家つばめ師匠、漫才師のリーガル天才先生ら日本演芸家連合の師匠方が国に幾度もお願いして汗をかいた賜物だと思います。「国立の演芸場ができる」と柳昇師匠が楽屋で嬉しそうに仰ったことを覚えています。国立劇場の裏に国立演芸場ができると。「裏だっていいよ、演芸場ができたら向こうを裏って言ってやればいい」そんな話をしていました。
開場の昭和54年に私はまだ二ツ目、それから56年4月に真打になって、5月上席に真打昇進披露公演を行って頂いたときは嬉しかったです。一番に感じたのは他の寄席とお客様の雰囲気が違うこと。中席は五街道雲助さん、柳家さん喬さんの真打昇進披露でした。今は落語協会と落語芸術協会が10日ずつ交互に出演していますが、当初は各協会が一緒に出ていて、十代目の金原亭馬生師匠とご一緒した時は緊張しましたが光栄でした。喋りも穏やかで貫禄のある方でした。
印象に残っていること
桂歌丸師匠が圓朝作品を始めた頃、播磨屋さん(二代目中村吉右衛門)との対談があって、私もその場にいてご挨拶したら、「ご苦労さま」ってあの調子で、歌舞伎役者って背が高くてかっこいいと思ったものです。歌丸師匠は毎年国立演芸場で長講されて、私も毎回最低2回位は聴きに伺いました。40分~1時間の話なんてなかなかやらない。それをあの忙しさで、病院退院後にも拘わらず、長講をされている。歌丸師匠には引っ張ってもらいました。
新春国立名人会で柳家小三治師匠は相変わらずマクラが長くて、客席が何を言っても動じない。見事でした。
国立演芸場で『死神』を演る時には、照明を使います。暗転にしたり、蠟燭が出てくる場面で赤いライトを出したり、元は三遊亭圓生師匠の演出です。入門前に圓生師匠の『死神』を観た時に落語ってこんなこともできるのだと斬新に見えました。照明で遊ぶのも国立演芸場ならでは。裏へ行ってちょっとお願いすると今ではスタッフの方もすぐにわかってくれます。
新たな国立演芸場
生の演芸を楽しめる素晴らしい演芸場を作ってもらいたい。寄席は時代時代の空気をどこか匂わせてくれるもの。どんな演芸場が出来て、どんなお客様方が来ていただけるか楽しみです。国立劇場と一緒の建物になって、他のジャンルを観に来たお客様に「演芸も面白そう」って言ってもらえるように頑張ろうと思います。皆様が生の演芸を体験して楽しめる場になってもらいたいです。
〈初代国立劇場を語る-初代国立演芸場スペシャル
/国立演芸場の思い出 三笑亭夢太朗〉
(取材協力:東京かわら版)