初代国立劇場を語る
2023.09.05 更新

初代国立劇場を語る ⑭
印象的な新作声明 孤嶋由昌

国立劇場の第1回声明公演

私は、開場した国立劇場の第1回声明公演(昭和41年11月)を客席で見ているのですが、導師をなさった青木融光先生の、あの体から出てくる迫力と声は今でも覚えています。いい姿でしたね。年を取ってから柔らかさのようなものを纏って、美しいとも評される雰囲気を持った方でした。初代国立劇場の最後の声明公演で、師と同じ大般若転読会の導師をさせていただくのはご縁を感じます。ただ、なかなか先生には追い付けないかな。

第4回公演「論議」(昭和44年11月)に初めて出演しました。以後、法要そのものをご紹介するものもあれば、全くの新作の公演にもたくさん参加させていただきました。

『伝法大会(豊山)』
(昭和44年(1969)11月 第4回声明公演「論議」より)

研究会の活動

声明の研究と発展のため、迦陵頻伽聲明研究会を30代の頃に立ち上げて活動を続けています。実を言えば、第1回公演の前半に舞台に立った天台宗の方々の声明が、コンダクターも付いて完成されていて、とてもかなわない、我々は10年遅れているのではないか、などと感じたその思いが、研究会の活動に繋がっています。新井弘順さん(声明家・真言宗豊山派)がずっと一緒に取り組んでくれて、むしろ新井さんの後を付いていっただけのような気もしますが、様々な新作公演や、海外公演も経験しました。お互いに補い合って何にでも挑戦し、いいコンビだったと思っています。最初は5人程だったメンバーも増えました。残念ながら新井さんは亡くなり(2022年ご逝去)、私も年齢的にはさすがに代替わりしないといけないと思っているところです。

印象的な作品

何と言っても印象に残っているのは、新作委嘱・初演だった「蛙の声明」(昭和59年11月)。草野心平さんの現代詩を、初めて声明で唱えるというものでした。いやあ最初は大変でしたね。蛙の鳴き声をやってくれ、というものでしたから。すぐに受け入れられた人もいれば、なかなか対応できない人もいて。我々が唱えている真言が蛙の声に似ているなんて、思いもよらなかったですよ。慣れるまで大変でしたが、どこかで吹っ切って本番を迎え、おかげ様で作品は好評でした。ベルリンでの公演も含め、何度も再演されています。

聲明の声、仏教打物の音のための「蛙の声明」(作品61番)
(昭和59年(1984)11月 第19回声明公演「婀尾羅吽欠」より)

そして、同じく新作初演の「観想の焔の方へ」(昭和58年9月)。これも、今でもため息が出るくらい大変な公演でした(笑)。ソロの部分が30分以上もあって、全体も長い曲。楽譜と音がずれてしまい、何時間も一人居残り特訓をしましたね。音楽監督補の鳥養潮さんに、厳しくも根気強く指導してもらいました。その時以来、今でも交流があります。

声明の将来

何が伝統的な声明なのか、大昔のことは誰にも分かりません。ただ、例えば「ド」や「レ」という音にチューニングがぴったりと合うように声明は唱えていません。“正しい音階”というものではなく、少しずつ周波数の違う、骨の音や空気の音などを含んだ、いわば太い「音の束」になって出てきます。洋楽、絶対音感の世界とは相反する感覚ですね。声明独特の音については、若い声明家からも時折尋ねられます。聞く方にも好き嫌いが大きく分かれるようです。

我々から上の年代では、師匠や先輩に教わるというより、やって見せてくれるのを見て、聞いて覚えるしかない時代でした。何遍も聞いている中で、あの時は顔が赤くなった、筋が突っ張ったなどを自然に覚えて真似て、だからこそ「師匠に似てきた」ということが出るのでしょうね。現代では、もっと細かく教えることで、納得するし、早く会得してくれるような時代なのかなと思っています。そして、繰り返し練習し、毎回課題を持って続けること。私の経験ではそれが一番の秘訣かな。まだまだ頑張って、声を出していきたいですね。

〈初代国立劇場を語る
/印象的な新作声明 孤嶋由昌〉

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