初代国立劇場を語る
2023.08.18 更新

初代国立劇場を語る ⑩
楽しい思い出ばかりの劇場山勢松韻

演奏活動と国立劇場開場

これまで国立劇場の主催公演には60回以上出演させていただきました。本当にありがたいことです。考えればいろいろなことがあったとは思いますが、嫌なことは忘れてしまう性格なので、楽しいことばかりが思い出されます。

初めての出演は、昭和42年1月。アメリカから帰国した翌年でした。アメリカへは、ワシントン大学に「センター・オブ・アジアンアーツ」という研究機関がありまして、昭和39年から講師として渡米しておりましたが、現地の日本人街で偶然観た日本映画の音楽で、清元志寿太夫師の浄瑠璃「保名」が何とも心に沁みて、日本に帰ってまだ勉強したい、と思いまして、1年で帰国することにしたのです。

開場の当初は、国立劇場の大劇場で中能島欣一先生や先代の米川文子先生といった偉い先生方と並んで出させていただいたことがとてもうれしかったですね。当時これだけ大きい会場はなかったし、廊下も広くて今でも立派に感じます。

思い出深い舞台

エリザベス女王が来日されて、芸能をご披露した文化庁主催の公演「伝統芸能鑑賞会」にも出演しました(昭和45年)。大劇場の正面玄関にだんだんお車が近づいてきたことまで覚えています。女王陛下は本当に自然体でお優しく、また、お年を伺ってびっくりするほど若々しくいらっしゃいました。エジンバラ公もそれは素敵で、一瞬目が合ったんじゃないかしら、と勝手に思っております。公演の番組は最初に舞楽、次に箏曲の『六段の調』、最後に六代目中村歌右衛門丈の八重垣姫でした。この『六段の調』は、箏曲の演奏家が流派を超えて揃った大舞台でした。演奏は苦労いたしましたが、あれだけの人数が指揮者なしで演奏するのは、ヨーロッパの方には珍しくていらしたかな、と思っています。

初めて主な奏者として出演させていただいたのが、『千鳥の曲』(昭和49年)。山口五郎先生と一面一管で、あの緊張はよく覚えております。『千鳥の曲』は何度も演奏しているものでしたけど、大先輩の先生方と並んで一曲を演奏させていただけたこと、緊張の思いと共に私にとっての一つの区切りであったと強く心に残っております。

また、昭和60年1月の「邦楽鑑賞会」では『葵の上』。山勢の一門で出演しました。山田流箏曲の大曲“四ツ物”で、その中でも最大級に大切な曲ですから、それを一門だけで演奏できるというのは大変うれしいことでした。姉(五代山勢松韻)とも、今が一番良い時ねと二人で話しておりました。

『葵の上』三絃の山勢松韻(当時山勢司都子)(右)
隣の箏は姉の五代山勢松韻
「邦楽鑑賞会」(昭和60(1985)年1月 第44回邦楽公演)

そして、平成8年あたりから姉が一線を退きましたので、私の責任が次第に大きくなったように思います。平成11年に演奏した『宮の鶯』はとても大変でした。箏組歌ですから一人で勤めるのですが、曲の品格を保ち演奏することはそれなりの工夫と準備が要りました。また平成13年に、藤井久仁江先生と『笹の露』を演奏させていただいたことは、全ての点におきましてとても勉強になりました。

『笹の露』で箏を演奏する松韻(左)と三絃の藤井久仁江
「邦楽鑑賞会」(平成13(2001)年1月 第114回邦楽公演)

さらには、歌舞伎公演の『十返りの松』(平成21年1月)に出させていただいたことも、とってもありがたかったし、うれしいことでした。NHKが初日の生中継でインタビューをしてくださったことも楽しかった。『十返りの松』は、踊りが付くことを想定して作曲された曲です。迫り上がりの合方はあるしね。中村芝翫丈(七代目)は以前から存じあげておりましたし、お子さまの梅彌さん、福助さんと振り付けを工夫されている様子をとても好ましく拝見したものでした。

歌舞伎『十返りの松』で箏曲をつとめる松韻(上段中央)
踊りは七代目中村芝翫(松の精)
(平成21(2009)年1月 第262回歌舞伎公演)

国立劇場の舞台は

国立劇場は、演奏するのがうれしい場所。国立、しかもお正月の公演っていうと、なんだかとてもうれしいんです。公開録音のホール、という感じではなく、“演奏”をしっかりさせていただける劇場です。小劇場の会場としての大きさも適当なんじゃないかしら。

劇場が新しくなっても、またいい企画を立てていただきたいです。観客として、「これ聴きに行きたいわね」っていうようなのをね。それに出られるかどうかはともかくとして、お客として楽しみにして行かれるような、そんな公演のある劇場を望んでいます。

〈初代国立劇場を語る
/楽しい思い出ばかりの劇場 山勢松韻〉

国立劇場は未来へ向けて
新たな飛躍を目指します