初代国立劇場を語る
2023.06.20 更新

初代国立劇場を語る ②
弁慶1日3回松本白鸚

思い出の作者・演出家

国立劇場が建つ前、都電に乗ってかまぼこ兵舎(注 終戦後、現在の国立劇場付近に建てられていた占領軍施設「パレスハイツ」)を横目に見ながら三宅坂を九段の方へ通学していたのが懐かしく思い出されます。

その場所に校倉造りの劇場が誕生し、最初の出演は昭和45年(1970)の『大老』。作・演出は北條秀司先生でしたが、ああいう演出家も今はいませんね。舞台稽古の時には、舞台の真ん中に椅子を置いて座っていらっしゃる。そして、お気に召すまで同じところを何度も繰り返し、主役、脇役問わず注文を出していました。

三島由紀夫先生のこともよく覚えています。実は『大老』の前年の昭和44年、『椿説弓張月』を上演するときに声をかけていただいたのですが、ブロードウェイ行きが決まってしまい、急遽父(初代松本白鸚)が初演を勤め、私は2度目の昭和62年に演じました。その時三島先生はもういらっしゃいませんでしたが、別の公演の折に間近で接する機会があり、稽古前の本読みで、女方の台詞まで全てご自身で言ってみせるスタイルがとても印象的でした。

『椿説弓張月』(昭和62年(1987) 11月 第145回歌舞伎公演)
白鸚(当時九代目幸四郎)の鎮西八郎源為朝

そして眞山美保先生。昭和50年『平將門』を上演するとき、お宅まで通って2週間もお稽古をしてくださいました。極端に言うと台本の1行ごとに意味を説明していただき、「悪鬼」ではなく「善鬼(ぜんき)」という言葉を初めて知りました。

『平將門』昭和50年(1975) 11月 第75回歌舞伎公演
白鸚(当時 六代目市川染五郎)の平将門、
二代目中村吉右衛門の平貞盛

養成研修

国立劇場の第一の功績は、研修制度ではないでしょうか。初期の頃は(二代目)中村又五郎のおじさんが熱心に指導されていたことをよく覚えています。先日は私も発表会のため「角力場」と「引窓」を教えましたが、研修出身の人たちは本当にしっかり力を付けています。現在もきちんと指導してくださっている皆さん、この制度を続けている国立劇場のおかげです。大げさかもしれませんが、これがなければ今の歌舞伎はない。ありがたいことだと思っています。

鑑賞教室

そして歌舞伎鑑賞教室、これもよく続けてくれていると思います。役者の方はもちろん舞台の1回1回が勉強で、その積み重ねで明日というものにつながるわけですから、若手にとってこれほど身に付く経験の場はありません。私は『平家女護島』の俊寛と『勧進帳』の弁慶を勤めました。弁慶では、千穐楽にアメリカのカーター大統領が来場されるというので、午前と午後上演した後、夜に3回目を上演しました。ほんとうにしんどかったけれども、誇りに思いました。大統領に弁慶の中啓を差し上げました。

平成16年(2004)には「社会人のための歌舞伎入門」という公演の第1回にも出演しました。この時も演目は『勧進帳』でしたね。初回なのでナレーションやBGMにもこだわらせてもらいました。この月の公演には、亡くなった森繁久彌さんが観に来てくださり、観劇後に楽屋にいらっしゃって、七代目(松本幸四郎)の祖父の声色で、勧進帳の読み上げを聴かせてもらいました。大きな声なので、楽屋中、何があったのかと私の楽屋を覗きに来ていました。

この企画自体は今でも続けられているということで感慨深いです。

『歌舞伎十八番の内 勧進帳』
(平成16年(2004) 12月 第242回歌舞伎公演)
白鸚(当時九代目幸四郎)の武蔵坊弁慶

新作、通し狂言、そして、お客様へ

乱歩歌舞伎(江戸川乱歩の小説「人間豹」の世界を取り入れた新作歌舞伎。平成20年『江戸宵闇妖鉤爪』、平成21年『京乱噂鉤爪』)では演出も担当しました。私が描いた人間豹のイメージの絵も使って入念に打ち合わせ、宙乗りのほか、新しい試みもさせていただきました。そのあと若手の役者たちが興味を持って人間豹の話を参考に聞きに来ました。今は新作も当時より増えましたね。

記録を見ると、周年記念公演にも多く出演させてもらっていますが、あまり意識はしていませんでした。それよりも、国立劇場ならではの通し上演を経験したことが、後にどれほど役に立ったかわかりません。今では他の劇場でも企画されることが多くなりましたが、やはり通し狂言といえば国立劇場。これも功績の一つと考えています。

この間、研修修了生にも伝えた言葉で、少し難しいのですが、芝居をしている間は、とにかく芝居が好きで好きでたまらないんだという芝居をする、そうすると観ているお客様にも楽しんでいただけます。国立劇場の公演では、話し合いや稽古を重ね、楽しい気持ちをどう芝居に取り込むか、どうお客様にお見せするかを、たっぷり学ばせてもらいました。

新しい国立劇場の誕生に向けて

劇場が建て替えになると聞いています。考えてみれば、江戸時代に芝居小屋が生まれ、その後に眞山青果先生や岡本綺堂先生の新歌舞伎があり、さらに現代の歌舞伎、劇場があるわけです。野球ではキャッチャーがうまいとピッチャーも良くなるらしいですから、新しい国立劇場は、役者を後押ししてくれるような劇場になるといいなあと思います、いや、なります。ほんとうに夢を持てます。

〈初代国立劇場を語る/弁慶1日3回
松本白鸚〉

国立劇場は未来へ向けて
新たな飛躍を目指します