初代国立劇場と私
青山に生まれ、終戦後は赤坂に五十余年住み、国立劇場の地は、私にとってとても懐かしい所です。
国立劇場が建てられたのは昭和四十一年。私の次女が一才の時でした。
どの様な建物が出来るのか愉しみにしておりました。
出来上がったのは、思いがけない校倉造り。皇居の堀と松のみどりを借景に、いかにも日本の伝統芸能の聖地にふさわしい荘厳なものでした。
その建物が建て直しという報を耳にした時は愉しみという気持以前に惜しい、なんとかこの姿を残せないかとの思いで、せめて最後の一年は十分に空気を吸っておきたいと数々の演目を拝見させていただきました。
祖母が大阪生まれで歌舞伎、文楽をたのしみに観賞、父が清元、小唄、私は六つの六月六日に日本舞踊、常に三味線の音の中に育ったような気がいたします。今は娘が受け継ぎ、文楽の拝見を愉しみにしております。
施工に何年かかりましょう。私は今八十六才になりますが、杮落しの日まで健康でいられるよう攝生をと、心いたしております。
最後の観劇の折、うれしかったことがございます。
開演までの時を劇場前の縁台に坐わり、娘がサンドイッチをいただいておりました。雀が一羽飛んできて私たちを見ておりましたので、娘がパンの端を少し与えました。たべ終わると飛びたちましたのですが、しばらくするとお仲間を数羽伴って戻って来ました。
その時はもうパンが無く残念に雀たちは彼方へ飛び去りましたが、あとで一羽の雀がお仲間に叱られているのでは、と今も気になっています。
でもお仲間を伴って来たことが可愛らしく、うれしい一刻を味わいました。
劇場前の銘木もしばらく他所へ移されましょうが、雀たちは何処へお引越しするのか。
一日も早く建物が出来ますよう、現在の校倉造りの雰囲気の残る日本伝統芸能の聖地にふさわしい建物になりますようたのしみにお待ちしております。
(干田浩代様より)