皆様からの思い出

2023.09.22 更新

私と初代国立劇場

 思うに、父は、上京して歌舞伎座や国立劇場へ行く足がかりにする為に、当時東京在住だった人との縁談を私に持ってきたのではないだろうか。
 まんまと策に乗せられた私は東京在住となり、父は上京して私の家を宿代りにしては歌舞伎座、国立劇場へと足を運んだ。
 私も子供の手が離れると、一緒に劇場へ出かけるようになった。
 上京してきた父とは、いつも国立劇場入口前の腰掛けで待ち合わせをした。あまり笑わない父だったが、劇場の角を曲がって私を見つけると、秋のよく晴れた日などは「今日は芝居日和だな。」と嬉しそうだった。そして、雨の日でもやはりそう言った。
 父は特に文楽が好きで、よく幼い私を後ろから抱きかかえ、人形遣いの様に私の手を取って「申し、勝頼さま」と人形振りをさせた。
 父が病を得て上京できなくなると、私は一人で劇場へ出かけたが、一人は淋しく、入り口前の腰掛けで開場を待っていると、建物の角から父が現れるような気がした。
 その父の三十三回忌を済ませ、今の私は、父が私に教えた様に、私の孫に劇場通いの楽しさを伝えたいと思っている。
 幕が上がる前、柝の音を聞く時の高揚感、見終わった後の心地良い疲れ、劇場の椅子に身を委ねてそんな至福の時を味わえることは、父が残してくれた財産と思えるからだ。
 早や孫も中二になり、私よりはるかに背の高くなった男の子だが、私の劇場通いに快く付き合ってくれるのが嬉しい。
 「先に鉄砲傷か刃傷か確かめればよかったんだよね。」と屈託のない事を言うのも面白い。
 父と私がしたように、やはり劇場入口の腰掛けで孫と私は待ち合わせをしている。
 学校帰りの重そうな鞄と部活のバッグを肩に掛けて彼は建物の角を曲がってやってくる。私は入口前の腰掛けでそんな彼を来月も待つ。

(丸山由岐子様より)

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