皆様からの思い出

2023.09.22 更新

初代国立劇場と私

 今私の手元に初代国立劇場の掉尾を飾る歌舞伎公演『妹背山婦女庭訓』の入場券があります。思い返せば、私と初代国立劇場とは昭和四十一年十二月の『菅原伝授手習鑑』第二部に始まって五十七年になります。第二部ですから正確には「杮落し」と言えるのかどうかは解りませんが、十一月、十二月の二か月に渡る通し狂言でしたから、そう言っても間違いではなかろうと思っています。その意味では奇しくも「杮落し」と「掉尾」の両公演を観劇する数少ないであろう(多分)観客の一人と自負しております。
 国立劇場の建設は当時の演劇界には相当根強い要望がありました。新劇の某観劇会に関わっていた私も多少はその運動の端に連なってはいましたから、「初代国立劇場」が完成したということは知ってはいましたが、とてものことに杮落しの入場券は手に入れることの出来るものではありませんでした。それが手に入りましたのは「棚から牡丹餅」で、公演当日になって当時勤務しておりました団体の役員氏から「君は観劇が趣味らしいから、急用が出来て行けなくなったので私の代わりに観て来なさい」とのご下命があり、勤務中に堂々と観劇したということによります。今もその時の「プログラム第二号」と入場券の半券は手元に保存しています。
 それ以来国立劇場には年に数回通っております。それといいますのも私は観劇が趣味だと言いましたが、いきなり「山場」を観せるという歌舞伎の上演の手法は「好きではない」ということに尽きます。ですから初代での「通し狂言」という形態は、二代目でも是非維持していただきたいと念じている次第です。
 今回残念なことが一つあります。それは杮落しの『菅原』で梅王丸を演じられた二世中村吉右衛門丈の姿が無いことです。当時二代目を襲名されて間の無かった二十二歳、年齢的に十分可能であるだけにそれが残念です。
 二代目国立劇場の完成に私は年齢的に多分間に合いそうにありません。立派な二代目の完成御祈念申し上げます。

(野村久雄様より)

国立劇場は未来へ向けて
新たな飛躍を目指します