皆様からの思い出

2023.09.12 更新

初代国立劇場の思い出

 昭和55年の夏、西ドイツの大学に学生として3ヶ月ほど滞在した後、西ドイツ国内の主要なオペラハウスをめぐり帰国しました。毎晩オペラを見る生活が一変し、気の抜けたような自分を見て、母が「日本にも歌舞伎というすばらしいものがありますよ」と教えてくれました。早速歌舞伎なるものを観に行くと、長唄、浄瑠璃、清元、常磐津、そして鳴物から柝まで、まさに音楽劇であることがわかり、のめりこんで行くことになります。作品構成で言えば、例えば、「引窓」で窓から差し込む月の光が物語の流れを変えて行くのですが、それはワルキューレ第1幕で月の光が差し込む場面と共通性があることに気づき大変驚きました。また、私はオペラ上演との相関から、有名な一場面だけを見せるのではない、「通し狂言」に強く惹かれ、「通し狂言」を重視する国立劇場での公演を楽しみにするようになりました。
 そして、さらには、ほとんどが「通し狂言」として上演される文楽を、国立劇場で観ることができることに気づきました。そこで、「義経千本桜」を第1部、第2部と2日間に分けて観ることに致しました。最初から最後まで浄瑠璃で語られる文楽は歌舞伎以上に音楽劇であり、三味線の微妙なニュアンスにはすばらしいものがあると感じました。そして、何と言っても、越路太夫と津太夫、全く異なる語り口の名人を知ることができたのが大きな喜びでした。また、中学の国語の時間に言葉として丸覚えしていた「国性爺合戦」が演目にあがった時は、是非観ようと思い、「これが『国性爺合戦』だったのか」と実体を初めて知ったことに感激致しました。文楽は、国立劇場ができなければ関東で観ることができなかったことを思うと、ほんとうに国立劇場に感謝したい気持ちで一杯です。
 当時の私のように歌舞伎や文楽を通じて日本独自の芸術を知る若者がこれからも増えることを期待致しています。

(齋藤昭男様より)

国立劇場は未来へ向けて
新たな飛躍を目指します