初代国立劇場と私
テレビで見た「曽根崎心中」に魅了され、進学で東京に来たものの、さすがに五月の公演は新生活の中で余裕がなく観られなかったが、九月から国立劇場小劇場通いが始まった。
少し年長の学内の先輩が桐竹紋十郎さんの人形の魅力を熱っぽく語っていたが、ほんの少し間に合わなかった。しかし、「越路・(二代目)喜左衛門」「津・(六代目)寛治」「(共に先代の)玉男・勘十郎」にはどっぷり浸れた学生時代だった。名物口上の兵次さんも聞けた。ある時、劇場の食堂で高齢の男性が、「文字太夫時代から住太夫のファンだ。彼の『山科閑居』を自分が聴けるのも最後かもしれない。」としみじみ語るのを聞いて、私にもそんな感懐を抱く日が来るのかなと思ったものだが、古稀を越えた今、「越路太夫さんの『桜丸切腹』」や「住太夫さんの大判事や定高」などの大切な記憶とともに、
今現在の舞台をできるだけ長く楽しみたいという思いでいる。
この間、悲しかったことの一つに、同世代と言える緑太夫さんの早世がある。父・師である津太夫さんの床の白湯汲み時の、一言も聞き逃すまいという眼差しの鋭さや茶碗を捧げ持つ所作の美しさといったら。円熟後の語りを聴きたかった。一方うれしかったのは簑助さんの復帰の舞台。大阪でのお半、東京でのお園。拍手の熱量が半端でなかった。残念だったのは嶋太夫さんの引退公演の千秋楽を、高熱で聴けなかったこと!(大阪では聴きました。)
ここに書きたい様々なことどもが一杯の半世紀だが、これから数年間のいろいろな場所での文楽公演を楽しみつつ新劇場の完成を待ちたい。文楽の皆さんも誰一人欠けることなくその日をお迎えになってほしいと願っている。毎年二月の公演では、今年も国立劇場の梅が見られたと思うが、建替工事で前庭の木々はどうなるのかだけが気がかりだ。
(池内範子様より)