皆様からの思い出

2023.08.14 更新

昭和42年7月から

 私が初めて歌舞伎を鑑賞したのは昭和42年7月、国立劇場の第1回高校生のための歌舞伎教室(現 歌舞伎鑑賞教室)・国性爺合戦でした。それまで大学受験参考書掲載の曽根崎心中の道行文に魅せられたことはありましたが、目の当たりに歌舞伎を見るのは初めてでした。斬新な色彩感覚と見得に驚きを覚えたことを昨日のことのように思い出します。また私は聴覚障害者であり、セリフがわからないだろうなあと思っていたのですが、台本を販売していたのも大変重宝しました。
 大学に入ってからは部活に集中していたので、芝居からは足が遠のいていましたが、卒業後ひさしぶりに心中天網島を観劇し、治兵衛が本当に縊死するのではないかと心配になったものです。そんな初心な観客も、「あぜくら会」に入り、だんだん、孝夫の忠兵衛(封印切)は下手だなあ、などと偉そうなことを感じるようになっていきました。しかし、その後、立場の太平次・左枝大学之助を拝見したあたりから、悪の魅力の面白さを発見し、いい役者だなあと認識を改めました。ごめんなさい、仁左衛門さん。
 また、歌右衛門さんの政岡も忘れられません。「ナニ、栄御前のお入り」でゾクッとする緊張感。実は、国立劇場の前に別の劇場でもそれを味わったのですが、その時はどこかの大学の歌舞研さんらしいのが、おなかがすいてひもじかったとみえてせんべいをボリボリやっていたので興がそがれました。国立劇場では完璧に堪能できましたよ。


 ところで、国性爺に「会稽山に越王の再び出でたる如くなり」という文句があります。この文句は復讐の意味合いで使われるものですが、復活の意味も持たせうると思います。そこで、隼町に劇場の再び出でることを期待しましょう。有難う、初代国立劇場。

(山田裕明様より)

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