皆様からの思い出

2023.06.21 更新

つながりの文楽

 出張中のハンブルクからブラッセルに向かう4時間のロングドライブの中で、尊敬するTさんと交わした落語の会話が、文楽を好きになるジャーニーの始まりだった。その後、私はTさんの勧めで中村仲蔵を聴きに行き、仮名手本忠臣蔵をもとに文楽への興味が急激に高まっていった。初めてみた文楽は国立劇場での桂川連理柵だった。この作品をパロディにした胴乱の幸助は、私が文楽を好きになるハードルを随分と下げてくれた。

 私は文楽の面白さは人形、太夫、三味線の三位一体だと思う。三者が自分の芸能に人生をかけて技を磨き、一切の妥協と遠慮なしに本番でぶつかり合うことで、三者が一体とな り迫力のある舞台ができあがる。そして、極稀に観客もその中で一体となる幸運に巡り合うことがある。そこでは、人形、太夫、三味線が螺旋状にからまりあって、私自身をより高いところに持ち上げる。最終的には、人形も太夫も三味線も観客もなくなり、全てが同一のものとなる。

 今回のさよなら公演でも、私はこの幸運に巡り合うことができた。菅原伝授手習鑑の宿禰太郎詮議の段で、覚寿が立田前の亡骸に涙するとき、宿禰太郎が犯人だと気付き刀を刺すとき、人形遣いにより、覚寿は私自身となる。三味線は私の魂の波長と重なり、あるいはそこにいるすべての人を同じ空間に導く。太夫は時を語り、過去と今、未来までもを同一化する。限られた劇場の中で、空間は無限に広がり、過去も未来もなくなり、時空を超え、全てが同一化する宇宙となる。

 それを実現する土台は紛れもなく舞台装置となる劇場である。初代国立劇場は空間の大きさ、舞台と観客の距離など絶妙に調和しており、音の反響や伸びが申し分なく、私を幸福な宇宙へと誘う最高の舞台装置だった。新たな国立劇場ができる2029年までの6年間は永遠とも思われる長い時間だが、それもまた過去と今とのつながりの中にあると思うと、新たな劇場への期待が高まる。

(松井俊樹様より)

国立劇場は未来へ向けて
新たな飛躍を目指します