皆様からの思い出

2023.06.21 更新

初代国立劇場 思い出の半世紀

 昭和45年、皇居の桜が満開の頃、三宅坂へ向かう都バスは遅れていました。その時、隣に並ぶ小学生位の坊やに声を掛けられたのです。
 「お兄さんも国立劇場へ行くの?僕、もうタクシーで行くから一緒にお乗りよ。今日は、朝会があるの。」(ハハア、この子は役者の卵か。ハテ、この芝居、子役があったかな?)
 渋滞を抜けて劇場裏手に辿り着き、「お客さんに車代を払わせる訳にはいかない」と頑張る躾の良い梨園の坊やを楽屋に送り込み、正面入口に廻ります。
 演目は「博多小女郎浪枕(毛剃)」。廓の座敷、傾城小女郎(菊之助・現菊五郎)に付従う禿を視れば、何と先刻の坊や(坂東うさぎ)でした。因みに、この芝居、当時訪日中のチャールズ皇太子(現英国王)が観劇された、と聞きます。
 後年、この子役君について劇場の会員係から懇切な情報を戴きました。坂東橘太郎と改名後、名題昇進し、現在は市村橘太郎。舞台の傍ら、名立師坂東八重之助に師事して国立劇場の歌舞伎俳優研修に尽力されているとのことでした。

 さて、高校生のための歌舞伎教室(国性爺合戦)から始めた小生の国立劇場通いも半世紀に亘り、歌舞伎の通し狂言をはじめ、民俗芸能、邦楽鑑賞、文楽等々、夫々に楽しんできました。とりわけ、当劇場ならではの流派・系統を越えた舞踊公演に思い出が多く、今も瞼に焼き付いているのが、地唄舞系の楳茂都陸平と俳優系の坂東三津五郎(八代)ご両所の「寒山拾得」。共に円熟の極みに達した芸の真髄が、世俗を超越した童子のような修行僧に乗り移り、逍遥作の長唄を舞い納めて、舞台上手の屏風の前に直ると、まるで雪舟の水墨画を観ているようでした。

 そして、思い出の掉尾は、彩彫の「鏡獅子」になった六世菊五郎。劇場ロビーで四囲を睥睨し、「わしがやらねば誰がやる(平櫛田中)」と咆哮する姿に、いつも元気を貰って来たものです。
 八十路余りの老生、新たな国立劇場での再会を切に念じる計りです。

(吉井裕二様より)

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