流行り病と国立劇場
二〇一七年から国立劇場へ通いだした私は、長い歴史から見れば新参者であろう。仁左衛門さんの「霊験亀山鉾」で歌舞伎の華を知った、当時大学生の私はたちまち歌舞伎の虜となった。以来、正月の菊五郎劇団や今は亡き吉右衛門さんの宙乗りなど、数多思い出ある中で、眉をひそめつつ語るのはコロナと国立劇場の思い出である。
二〇二〇年より流行りだしたこの病は、歌舞伎だけでなく落語や文楽、能といった声を武器とする芸能を次々と蝕んでいった。その中で国立劇場の歌舞伎公演は十月から十二月は二部制として、客席の換気や消毒を徹底された。
そのおかげで観られた名演もある。十月の「幸希芝居遊」(主演は幸四郎さん)では舞踊劇の吹き寄せの趣向の面白さを知り、同月第二部の「太刀盗人」(主演は松緑さん)は「少しでも憂き世を忘れられるように」という松緑さんの意図が客席にまで広がった。
また、後世まで語られることが確約された名優の方々の好演も忘れがたい。菊五郎さんの「魚屋宗五郎」、吉右衛門さんの「俊寛」、仁左衛門さんの「彦山権現誓助剣」。『どうでい、すごいだろう』と年下の歌舞伎好きに意気揚々と語りたくなるものを見られたのだ。これは新型コロナウイルスのご利益だろうか。
しかし、これらと離れがたく思い出されるのは空席の目立つ客席である。どれだけ名優が名演をしようとも、それを興行側や実際に観た者が語ろうとも、未知のウイルスに対する恐怖が人々に伝染していた。初代国立劇場の”晩年”は流行り病の時代でもあったのだ。
次の国立劇場ができあがった時にはこの病はどうなっているのかしら、この戦争は終わっているのかしら。期待と共に不安を抱えつつ、次の劇場を夢見ながら、過去の公演ポスターを眺める春夜を今宵も迎えよう。
(関口弘樹様より)