皆様からの思い出

2023.03.31 更新

物語に誘われて

 文楽に興味を持ったのは、津原泰水先生の小説『たまさか人形堂物語』からです。
 主人公は老舗の人形店を継ぐことになった元OL。昔ながらの販売業に限界を感じた彼女は、修復の看板を揚げることを思いつきます。そこで雇い入れた凄腕の職人。謎に包まれた彼の経歴は人形浄瑠璃にまつわるものであることが、やがて明らかになります。
 物語の中核となる〈かしら〉は文楽ではなく阿波人形浄瑠璃のものですが、主人公や私たちのような不案内な向きにも接しやすい文楽のことも織り交ぜ、物語は進みます。


 津原先生は読者や後進に、伝統芸能の面白さを教えることに強い意欲をお持ちでした。カルチャーセンターで開かれた講座では、歌舞伎や文楽の話題がしばしば登場しました。受講生を率いて国立劇場を訪れたことも。
 私が通い始めた頃からはコロナ禍に入ったことで機会が絶えていたのですが、昨秋の公演に際しては数年ぶりに募集がかけられました。入院中の先生が退院なさったら――退院なさることはありませんでした。


 この二月の演目「女殺油地獄」は、続篇『たまさか人形堂それから』に間接的に登場します。描かれるのは翻案された現代劇ですが、原作の見どころも興味深く記されています。
 観てみたい。私は国立劇場に、一人、足を向けました。
 果たしてその面白さは私にも、私は一人でも、理解できるものだろうか?
 懸念は無用でした。イヤホンガイドは親しみやすい言葉でいざなってくれます。朗々と響く義太夫節は耳に心地よく、舞台でいきいきと躍る人形たちからは目が離せません。待望の見どころ、油屋での大立ち回りにはもう呆然。すごいものを見た……と呟きながら私は劇場を後にしました。


 『たまさか』の物語を導くかしらは「日高川入相花王」のガブでした。小説の中にあざやかに綴られたその情景も、いずれこの目で、なまの舞台で……。
 生まれ変わった劇場での興行再開を、心待ちにしております。

(酒井博子様より)

国立劇場は未来へ向けて
新たな飛躍を目指します