国立劇場の「裏」の芝居
国立演芸場の立地をなんと説明しよう。「国立劇場の裏」、「最高裁判所の裏」…。なにかと裏になる場所だ。
そんな「裏」で、毎年二月に金原亭馬生師匠を中心に鹿芝居の公演をされていた。噺家さんがやる芝居(歌舞伎)、「ハナシカ」の芝居には華がないから「シカシバイ」…とは落語家さんのマクラからの引用だ。
とはいえ、芸達者の師匠方である。面白くないわけがない。二〇二〇年の「与話情浮名横櫛」、いわゆる「お富与三郎」を例として挙げよう。「木挽町」こと馬生師匠の与三郎に、女方の正雀師匠のお富。しかもこの年は「本物の」役者である大谷友右衛門丈が特別出演した。本職の友右衛門丈の役は使いの者で、少ししか出番がない。それを楽しむ客席で もあった。幕が閉まる前の柝が鳴るや飛んだ「木挽町!」「ご両人!」の声が忘れられない。
しかし、コロナにより、次の鹿芝居は三年後の「らくだ」までお預けとなった。二〇二〇年の「お富与三郎」も実は影響を受けている。花道に見立てた客席左側の通路を、与三郎と共に金原亭世之介師匠扮する蝙蝠安が出てくる。すると、客席前方には空席の塊がある。蝙蝠安がボソッと一言。「団体がキャンセルになったんだ…」と。余談だが私が見た時の前座さんは馬生師匠のお弟子さんの駒介さんであった。開口一番の挨拶の際、「くしゃみがひどい方はどうぞロビ ーへ…」と言うと客席からは笑いが起きた。コロナがまだ笑い事の時であった。
鹿芝居が復活したのは三年後の二〇二三年二月中席の後半五日間で、「らくだ」が上演された。幕が閉まる時、馬生師匠が「来年もここで…あ、無いんだ」と寂しげに仰ったのが印象深い。
どうか、次の国立演芸場でも鹿芝居を。「裏」を返して馴染みになったばかりの新参者からの願いである。
(関口弘樹様より)