志ん朝師匠二席の思い出
高三の秋、こちらが受験生なのを承知で、どうしてもと、父が連れたがって行った国立演芸場。調べてみると、1982年10月23日第19回国立名人会らしい。ちょうど、日本シリーズの最中で、演者(さん喬、先代歌奴、先代扇橋の各師匠方)が次々と枕で、田淵のホームランなど、試合経過を「報道」されていたのを覚えている。父がどうしても息子を連れて行きたかったのは、馬生・志ん朝の名人兄弟の一席があったからである。しかし、叶うことなく、馬生師匠は直前に鬼籍に入られた。このため、志ん朝師匠は予定の甲府いのほか、明烏も熱演された。その2年前の付馬共々、それをまだ鮮明に覚えている。志ん朝師匠も今は亡く、父も既にあちらで名人会を聞き飽きていると思うが、近年の花形演芸大賞・金賞は心強く、こちら側の10年後の名人会も楽しみである。
(君塚正臣様より)