皆様からの思い出

2023.02.20 更新

左遣いを追って

 大学を卒業したあと、江戸川区にある表具店に就職し、表具師になるべく修業を始めたが、案の定女性には茨の道だった。

 10年で独り立ちという職人の世界をよく聞くが、表具師の世界は10年で使い物になるかがわかると言われた。覚悟はしていたものの途方にくれる毎日だった。

 辞める時は死ぬときだと思って毎日を過ごしたが、5年目くらいにどうにもこうにも超えられない技術的壁にぶつかった。

 文楽鑑賞はそんな私の心の支えだったが、ある日人形遣いの左遣いさんの動きに目が奪われた。動かすのは右腕だけではない。人形の左手を遣うときの微妙な肩と背中と首のしなやかな連動した動き。手作業と言っても手を動かしているだけではだめなんだ。

 それは目からウロコだった。それに気がついてから、休日は狂ったように文楽を観に行って左遣いの動きを目で追った。

 そこから私の快進撃がはじまった。2年後には日本芸術院賞を取った書道家の先生の個展の表装をまかされるまでになった。

 結局1人前になる前に身体を壊し表具師の道は断念したが、今は紙漉きの仕事をしている。あの日に焼き付けた左遣いの動きを頭と心で追いながら。

(吉田夏子様より)

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