昭和46年の国立劇場
私にとって、初めての国立劇場は昭和46年9月某日。大劇場での歌舞伎公演『東海道四谷怪談』。
当時高校1年生。自ら希望して母に連れて来てもらったのである。
初めての歌舞伎。「砂村隠亡掘」での“だんまり”。台詞もなく、ゆっくりとした動きで不思議な表現形態だなあと感じたことを今でも覚えている。
歌舞伎に惹かれるものを感じ、その後1人でも大劇場に足を運んだ。
八世幸四郎(熊谷次郎直実)、二世松緑(天竺徳兵衛)の舞台は強く心に刻まれた。梅幸もしかり。岩井半四郎、台詞がひときわ聴き易かった。
笑い話になるが、当時は歌舞伎役者として大成するには顔が大きくないと難しいのだろうなと1人で合点していた。
ある公演ポスターが異彩を放っていた。それもそのはず横尾忠則の手によるものだった。
文楽公演『椿説弓張月』。三島由紀夫の絶筆である。
同年11月某日。1人で小劇場に足を運んだ。当時は字幕表示がなく、床本を目で追いつつ舞台を観た。三人遣いの人形の表現力の豊かさに魅せられた。こうして文楽にも心を奪われることになる。
『重の井子別れ』では涙が頬を伝い、『女殺油地獄』では倒けつ転びつの凄惨な修羅場に息をのんだ。
エピソードをひとつ。演目は忘れたが、観客席前方下手側に細身の品のある青年が観劇していた。後に得心する。人間国宝坂東玉三郎の若かりし姿だったのである。
コロナ禍までは年に1、2度大劇場で母と同席した。「1人じゃチケットも買えない。誘ってくれて本当にありがたい。」少しは親孝行ができたのではと思っている。今でも、歌舞伎に関して一番の話し相手は母なのである。
十代の瑞々しい感性でもって世界に誇れる伝統芸能に触れられたことが、高齢者に仲間入りした今の自分にとって大きな財産になっていると実感している。
その出会いの場となったのが昭和46年の国立劇場なのである。
(大野進様より)