初代国立劇場と私
私が初めて国立劇場を訪れたのは一九六九年十一月十五日、十八歳・高校三年生のときでした。三島由紀夫の脚色演出と横尾忠則のポスターに誘われて「椿説弓張月」を観に行ったのです。歌舞伎は高校一年生のとき学校行事で横浜の青少年センターで「歌舞伎鑑賞教室・国性爺合戦」を観ただけでした。生まれて初めて入場料を自分の小遣いで払って観たのが「椿説弓張月」でした。
いま、開場四年目の綺麗な劇場で観た舞台の感動が昨日のことのように甦ります。絢爛豪華な舞台の設えと八代目幸四郎と二代目鴈治郎、三代目猿之助、八代目中車、二代目又五郎などの名優たちが演じた源為朝の物語の面白さ。なかでも白縫姫を演じた十九歳の玉三郎丈の美しさに魅入られてしまいました。
翌一九七〇年高校卒業~浪人生活が始まる四月から毎月国立劇場へ通いました。国立劇場には学割料金があり、三階席ときには二階席で安価に歌舞伎を観ることができました。「博多小女郎浪枕」「柳影澤蛍火」「網模様燈籠菊桐」「伊賀越道中双六」等々すべて通し狂言でしたから、物語の面白さから歌舞伎に入っていくことができました。
人形浄瑠璃をわたしが初めて観たのは文楽ではなく淡路人形芝居でした。一九七〇年四月五日、大劇場での歌舞伎観劇後、小劇場に初めて入りました。「淡路人形芝居・賤ヶ嶽七本槍」を観たのです。幕開きから義太夫三味線の太棹の音締を聴いたとき鳥肌が立ちました。(後に名人・鶴澤友路師匠であったことを知りました)歌舞伎とは異なる人形芝居の面白さに惹かれて翌五月「義経千本桜」、九月「菅原伝授手習鑑」と文楽の通し狂言を通じて義太夫狂言の名作に出会いました。
わたしにとって国立劇場は学校のような存在でした。観客として半世紀以上にわたり歌舞伎と文楽を観てきたことは、日本の古典芸能の深遠さを探求する時間でもありました。
(北村友一様より)