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国立文楽劇場

小狐丸。四月公演第三部を観て。

三咲 光郎

 岡山で備前長船刀剣博物館を訪れたことがあります。
 展示されている「長船物」の名刀は、間近で見ると、背筋にスウッと緊張が走って、刃の美しさに魅入られます。武器の機能を追い求め、洗練をきわめた果てに現れた「美」。自分の手に持てば、その重みと深みのある光沢に心が吸い込まれてしまうだろう。刀剣の不思議な力を感じました。
 『小鍛冶』は、刀匠・三条宗近が、名刀「小狐丸」を打つ話です。宗近は、一条天皇の御代に平安京にいた刀鍛冶だと伝えられています。小狐丸は、公家の宝物として残されていたのが行方不明となり、現在、東大阪市の石切剣箭神社に収蔵されているものがそれだとされています。史実というより、伝説として楽しむ話でしょうか。

 文楽四月公演の第三部は、『傾城阿波の鳴門』と『小鍛冶』の二本立てです。午後六時開演、七時五十五分終演。玄関で、手指消毒と検温をして入場、一階ロビーの席もしっかりとブースで仕切ってあります。
 先ずは、一階資料展示室の企画展示へ。「文楽入門」と併せて、「文楽の景色」と題し、舞台の背景画などを紹介しています。私の好きな『妹背山婦女庭訓』「妹山背山の段」の舞台模型がありました。吉野川を真ん中に挟んで左右対称に家がある、あの有名な舞台です。その他にも、実際の舞台に使われる鷲や松なども展示されています。そばで見ると、思っていたよりもデカい。そりゃあそうだ、文楽人形自体が三人掛かりのけっこうな大きさなんだから、などと感心しているうちに、ふと、こういう大きな道具を普段どこにしまっているんだろうか、と素朴な疑問が湧きました。舞台の背景なんかは、公演の都度、新しく造るのかもしれんが、道具類って、保管するのもたいへんなのでは? この劇場内のどこかに、虎やら狐やらがひっそりと集まって次の出番を待っている場所があるのかな?
 文楽の企画展示は、毎回のお楽しみです。

 さて、今回は、二階ロビーにも特別な展示がありました。『小鍛冶』の話の中心になる名刀「小狐丸」。オンラインゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に、その小狐丸を人格化したキャラクターが登場する縁で、文楽人形版の「刀剣男士 小狐丸」が凛々しく立っています。ファンの皆さんで写真撮影の順番待ちができていました。鬱金色の衣裳が映えるイケメン。素敵な出来栄えです。人形製作の方、これは、本気で造りましたね。

 六時開演。『傾城阿波の鳴門』「十郎兵衛住家の段」。
 泣ける話です。前半の、あの有名な、
「アイ、父様の名は十郎兵衛、母様はお弓と申します」
 を、竹本千歳太夫さんの語りで。三味線は豊澤富助さん。
 九歳の少女が生き別れた両親を探して旅をする。可憐なしぐさの中に、かなしさと、けなげさがあって、涙腺が緩みます。人形は桐竹勘次郎さん。
 その少女おつるが自分の娘だと知り、名乗り出たいが、自分は追われる身なので何も知らない我が子を巻き込むことはできない、と葛藤する女房お弓。悶え苦しむ心に、おつるが感応していくところが泣けます。
 ところが、段の後半に、衝撃の展開が。
 ネタバレは控えますが、現代劇ではありえない、予想の斜め上を飛んでいく出来事に、泣いていいのやら、いきどおればいいのやら、ぐいっと気持ちをつかまれて終盤へ。
 『傾城阿波の鳴門』は、全十段の「お家騒動」物です。十郎兵衛とお弓は試練をかいくぐって物語を大団円に運ぶ役回りなので、いろんな艱難辛苦が設定されているのでしょうが、この試練も全段の構成の中で説得力を持っているのでは。後半は、豊竹靖太夫さんと野澤錦糸さん。
 この段を通して、感情の起伏がジェットコースター並みに動いていくお弓。リアルで、情感豊かな女性です。人形は桐竹勘十郎さん。

 休憩を挟んで、いよいよ『小鍛冶』です。
 刀鍛冶の三条宗近は、老翁の姿になった稲荷明神の助けを得て、「小狐丸」を打ち出します。
 音曲が楽しい。鎚で鉄を打つ音が曲の一部として組み込まれて、三味線とコラボレーションします。今の音楽を聴いているみたいにノッてきます。語りは、豊竹睦太夫さんの宗近と竹本織太夫さんの稲荷明神の掛け合いですが、主役は、稲荷明神。宗近と一緒に鎚を振り下ろすだけあって、堂々として力強い神様です。圧倒されます。小狐丸の誕生譚に、心躍らせて立ち会うことができました。
 ひとつ、ハッと気づかされたことがあります。ええ年して知らんかった。
 「相槌を打つ」っていう言葉は、刀鍛冶の仕事から生まれた言い回しだったのか!

■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪府生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。
1993年『大正暮色』で第5回堺自由都市文学賞受賞。1998年『大正四年の狙撃手(スナイパー)』で第78回オール讀物新人賞受賞。2001年『群蝶の空』で第8回松本清張賞受賞。大阪府在住。

(2021年4月5日第三部『傾城阿波の鳴門』『小鍛冶』観劇)