
日本芸術文化振興会トップページ > 国立能楽堂 > 【2月4日 第21回東京若手能】 チケット好評発売中!

年に一度、東京の新進気鋭の能楽師たちが集い、名作に挑む「若手能」公演が 2月4日(土)に開催されます。
見ごたえのある三作品を上演します。若手ならではの華のある舞台をぜひお楽しみください。
| ■能 葛城(かづらき) 角当 直隆 (観世流) | |
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| シテ 梅若玄祥(撮影:吉越立雄) | |
| 岩橋を架けよという役行者の命に背いたため、蔦葛に呪縛された大和葛城の女神が、山伏の祈祷により戒めを解かれます。後半、正体を現した女神は雪降る夜に優雅に舞を舞うのでした。 | |
| ■狂言 伯母ヶ酒 (おばがさけ) 山本 則秀 (大蔵流) | |
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| シテ 山本泰太郎 | |
| 酒屋を営む伯母はけちで甥にさえ酒を飲ませてくれません。甥は一計を案じて伯母を騙しまんまと酒を飲みますが、今度は飲み過ぎて・・・。 | |
| ■能 雷電 替装束 (らいでん かえしょうぞく) 佐々木 多門 (喜多流) | |
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| シテ 佐々木宗生 | |
| 太宰府に左遷され無念の死をとげた菅丞相の怨霊は、雷となり内裏にあらわれます。師である法性坊は勅命により参内し、怨霊と対決します。怨霊と法性坊との激しい争いが見どころの、迫力ある舞台をお楽しみください。 | |
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「葛城」のおシテは初役ですか
初めてです。雪に覆われた葛城山が舞台ですので、大雪で音が吸収される情景が浮かぶように、静かめに謡う工夫が必要で、大変難しい曲です。しんとした音のない世界、静寂感を大事にしないといけません。
見どころを教えてください
後場の序ノ舞が見どころの一つだと思います。40歳を過ぎて、序ノ舞などしっとりした曲が何となくわかるようになってきたように思います。それまでは動きの大きい、派手な曲を演じることの方が多かったのですが。 |
![]() 角当 直隆 シテ方観世流 1968年生 角当行雄の長男 父及び梅若玄祥に師事 |
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4歳の時の「老松」の仕舞が初舞台です。その後、暫く稽古を続けていたのですが、高校生の時、能楽以外の世界に触れてみたいと、一時能楽からは離れていました。それでも、高校卒業のときにやはり自分は能が好きだということがわかり、再び稽古を始めました。離れてみて、自分がいかに能が好きかというのがむしろはっきりわかったので、その後は内弟子としてひたすら修業に励みました。
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8年間です。梅若玄祥先生の内弟子になりました。集団生活を通して、能のことはもちろんのこと、礼儀作法から日々の生活のことまで、人として大切なことを本当に様々ご指導いただきました。色々辛いこともありましたが、それまではとにかく甘えていましたし、他人に叱られたこともなかったですから、内弟子時代の経験が人間形成に役立ったと感じています。今こうして一応一人前の大人として生活できるのも、あの時期の厳しいご指導があったからだと思います。
一緒に修業した同期とは今でも強いつながりがあります。
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印象に残っているものは、「俊寛」です。自分にとって、ターニングポイントとなる曲はいくつかありますが、「俊寛」はその一つです。
30代半ばで「俊寛」を演じた際には、完全に、俊寛に突き放された感覚がありました。“私を演じるには100万年早い!”と俊寛に言われているような感覚に襲われ、何もできなくなってしまうくらいでした。もちろん自身の技量のなさによるものだとは思いますが、こういった経験がありますので、「俊寛」という曲は自分にとって特別な意味を持っています。
また、「山姥」も印象に残っています。気力、体力ともに必要とされる曲で、前シテだけで力を使い果たし、中入りになり、「もう充分なのですが」(笑)の状態の私に、皆が寄ってたかって装束を着け、後シテで出ました。それから〈クセ〉〈山巡り〉等々続くわけですから、体力的にもギブアップでした。最初から力み過ぎてしまってペース配分もできませんでした。ペース配分の大切さを学んだ曲ですね。
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演じる曲目については、今は、師匠が私の技量をみて、「○○」をやってみなさい、と決めてくださいます。激しいものから段々としっとりしたものに移りつつあります。もちろん、自分の中にもたくさんの希望曲があって、あれもこれも演じてみたいと思っています。
今後も、能のよさを広くアピールできる技芸と心構えをもった演者になれるよう頑張りたいです。一人でも多くの方に観て頂けるような演者を目指してこれからも精進してまいりたいと思います。
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「伯母ヶ酒」のおシテは初役ですか
シテ(甥)は初めてです。アド(伯母)は何度か経験があります。この曲に限らず、普段はアドをさせていただくことが多いので、今回はシテを演じられて光栄です。
見どころを教えてください
狂言は非現実的なようで、実はごく身近にある光景を描いています。「伯母ヶ酒」についても、甥と伯母とのやりとりを通じて、見終わったあとに、「そうそう、こういうことってありますよね」と共感してもらえたら嬉しいです。 |
![]() 山本 則秀 狂言方大蔵流 1979年生 山本則俊の次男 父及び山本東次郎に師事 |
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私の家では、初舞台は「以呂波」か「痺」のシテで、私は「以呂波」でした。5歳のときでした。兄が先に習っておりましたので、自分もやりたいと言ったそうですが、稽古はとにかく泣いていたことしか覚えていません。稽古は嫌いでしたが、舞台は好きだったようです。子方の役も随分しましたね。
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好きというか印象に残っているものはやはり「三番三」や「釣狐」でしょうか。「三番三」はお囃子方の存在も大きいですし、のりのよい曲と勢いのある舞が好きです。元々音楽的なことは好きで、学生時代には友人と文化祭で楽器を演奏したりもしました。
「三番三」「釣狐」ともに、気力、体力がいる曲目で、大変辛い、という印象の曲です。二つとも、「百日稽古」と言って、何度も何度も稽古して初めて演じることができる大変重い曲です。
以前、伯父の東次郎が兄則重に「三番三もそろそろ楽しくなってきたか?」という質問をしたことがあります。その時には、三番三が楽しい、などという感覚が全く理解できなかったのですが、最近は何となくではありますが、楽しい、というのが分かってきたように思います。披きのときとは違い、経験を重ねることで、いい意味での余裕が少しは出てきたのかもしれません。
「釣狐」は回を重ねても楽しいとは思えないでしょうね。体力がなくなった年齢で「釣狐」を演じるには、技芸の他に様々な要素が必要でしょうが、怖いですね。
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狂言方にとって間狂言も大切です。語りは好きです。覚えはまあいい方だと思います。勤める順番は最初「修羅物」、そして「四番目物」「五番目物」へと続き、「三番目物」になります。一か月毎週、新しい曲のアイを勤めたことがありました。自分としては、一生懸命に覚えて間違いなくできたので達成感があったのですが、いつも叱られ通しでした。どこが悪いのかがわからなかったですね。近頃、漸く父や伯父の舞台と自分がしていることとが違うなとわかるようになりました。せりふはしっかりできて当たり前で、それをいかに“語り”にできるか、いかに後場につなげていけるかが重要なのだということが、語りの経験を重ねていく中で、少しずつ理解できてきたように思います。
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たまに、「あれは当たり役だね」と特定の曲について言っていただけることがあります。大変ありがたいことではあるのですが、全てが当たり役でないといけない、というくらいの気持ちで自分に厳しく頑張らねばと思います。
本狂言、間狂言ともに、自分の理想と自身の実際の舞台とにはまだ隔たりがあります。師からの教えの通りにしているつもりでもできていなかったり、まだまだ学ばなければいけないことがたくさんあります。少しでも理想に近づけるようこれからも一生懸命稽古に励んでまいりたいと思います。
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「雷電」のおシテは初役ですか
通常のものは、10代のときに稽古能でさせていただいておりますが、替装束の小書き付きは今回が初めてです。以前に演じた際は、ただただ一生懸命、師匠に教わった通りに舞った、という感じでした。今回は、小書き付きでもありますし、気持ちも新たに臨みたいと思います。
曲の内容、みどころについて教えてください
通常は、前シテが童子ですが、替装束の小書きが付くと、成人した、菅原道真(中将の面)になるので、演じるにあたっての心持がかわってきます。童子の場合には、師と対峙する場面では、先生と弟子、大人と子供、という関係ですが、中将の場合には、大人対大人、ということで、ただまっすぐに演じればよい、ということではありません。中将の面や、装束に合うように品格を備え、師への畏敬の念も表現しなければなりません。願いが受け入れられないとわかった時の怒りが激しく、この変化が難しいです。 |
![]() 佐々木多門 シテ方喜多流 1972年生 佐々木宗生の長男 塩津哲生に師事 |
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3歳のときの「鞍馬天狗」の花見の稚児が初舞台です。その時のことはよく覚えていないのですが、出番前に、御簾内から地謡座の父を見つけて、「パパ!」と呼び掛けてしまったようです。幸い、舞台までは聞こえなかったようですが、周りの大人は冷や冷やしていたと思います。
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父が岩手県出身で、私も毎年東北で舞台に立たせていただいております。今年、東日本は大震災により大きな被害を受けました。
数年前に、岩手・平泉の中尊寺白山神社能舞台で「道成寺」を披かせていただいた際も、本番前日に大きな地震があり、翌日の舞台もできるのかどうかもわからないような状況でした。それでも当日は、多くのお客様がご来場くださり、また、出演の方々にもどうにか工夫して駆けつけていただけて、舞台を無事成立させることができました。白山神社能舞台は野外にあり、自然の懐に抱かれながら舞いましたが、舞台はたくさんの方々のお力添えがあって初めて成り立つというのを改めて感じさせられ、大変印象に残っています。
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国立能楽堂の舞台でシテをさせていただくのは、今回が初めてです。しかも、子供の頃観たときから面白いと思っていた「雷電 替装束」をさせていただけるのを、大変光栄に思います。身の引き締まる思いもありますが、今から楽しみでもあります。菅丞相の、師に対する思いを自分に重ねて、また、芸に対する思いを携えて、橋懸りを歩みたいと思います。
また、若手能は異流立ち会いの公演なので、自然と他流を意識はしますが、“喜多流の代表”という気持ちで自分なりに精一杯勤めたいと思います。
今後につきましては、来年に企画されている東日本復興支援能の会の実行委員の一員として携わっております。東北地方にゆかりのある方など、五流の方々に広くご協力いただきます。今回の大震災では、多くのことを考えさせられました。少しでも能楽によって鎮魂の場になればと思います。