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国立能楽堂

トピックス

【千駄ヶ谷だより】国立能楽堂3月主催公演がまもなく発売です!

 

鬼ヶ宿

 このところ疎遠になっていた安達原の女の家を久しぶりに訪ねて行った太郎。ところが、とうに愛想をつかしていた女は、一計を案じて太郎を追い返すことにします。酒が飲みたいという太郎に、女は「あいにく、酌み交わす酒を切らしているので買いに行ってほしい」と頼み、「このあたりには夜な夜な鬼が出るので気をつけて」と気遣うような言葉をかけました。しぶしぶ酒を買いに出た太郎ですが、酒屋で酒をふるまわれて上機嫌。ほろ酔いの態でもどってくると…。
 能・狂言を愛好した幕末の大老・井伊直弼の作で、井伊家のお抱えだった茂山千五郎家では現在も上演される作品となっています。

志賀

 今を盛りと山桜が咲く江州・志賀。花見にやってきた帝の臣下は、花陰で休む樵夫(きこり)の老人と出会います。老人は「道のべのたよりの桜折り添へて薪や重き春の山人」という大伴黒主(おおとものくろぬし)の歌を口ずさみ、『古今和歌集』の序に書かれた紀貫之の言葉を引いて和歌の徳を讃えます。そして、自分はかつて黒主と呼ばれていたが、今は黒主を祀ったこの山の神であるとほのめかし、姿を消してしまいました。
 夜になると、志賀明神となった黒主が満開の桜のもとに現れ、爛漫の春を喜び、聖代を寿ぐのでした。

 

鐘の音

 息子の成人祝いに黄金造りの太刀をつくろうと思った主人が、太郎冠者に「鎌倉へ行って金の値を聞いてこい」と命じます。「おまかせあれ!」と家を出た太郎冠者ですが、鎌倉に着くなりお寺めぐりをはじめました。うっかり者の太郎冠者は、どうやら「金(かね)の値(ね)」と「鐘(かね)の音(ね)」を取り違えたようで…。
 太郎冠者が訪れる寺は流派によって違いがあり、和泉流では寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺となります。寺ごとの鐘の音の違いをお楽しみください。

胡蝶

 吉野の山深く住む旅の僧が、京の都を訪れます。一条大宮の古宮に美しく咲く梅の花を眺めいる僧に、宮の中から現れた女が声をかけてきました。僧に何者かと問われた女は、花に戯れる胡蝶の精だと明かし、どの花よりも早く咲く梅の花とだけは出会う縁に恵まれなかったことを嘆きます。そして、女性に姿を変えて僧の前に現れ梅との邂逅がかなった今は、極楽往生を願っているのだと打ち明け、姿を消してしまいました。
 やがて、僧が胡蝶の精のために読経をしていると、本性にもどった胡蝶の精が現れ、仏法の功力に感謝し、喜びの舞を舞いつつ春の霞の中へと消えていくのでした。

 

長刀応答

 伊勢参りに出かける主人は、庭の桜が満開なので、花見にやって来る人もいるだろうと、応対役に太郎冠者を残し置くことにします。「とはいえ十分な接客はできないだろうが、せめて長刀あしらいをしておくように」と言い残して主人は出立しました。やがて花見客がやって来ますが、太郎冠者が長刀をふりまわすので、客は驚いて逃げていき…。
 「相手に合わせて受けつ流しつあしらう」「ほどほどに対応する」ことを古くは「長刀あしらい」と言いました。太郎冠者のふるまいは、それを文字通りに受け止めてのものです。

角田川

 武蔵国と下総国の境を流れる隅田川の渡しで客待ちをする船頭の前に、さまよい出たひとりの狂女。人買いにさらわれたわが子を探して都からはるばるやってきたというその女は、狂女ながらも『伊勢物語』の歌やエピソードを引いた教養ある話しぶりで、船頭は乗船を許しました。船中、対岸から大念仏の声が聞こえてくると、船頭は「去年の今日、人買いにさらわれ、病になり見捨てられて亡くなった少年の供養」だと教えます。その子こそわが子であることを悟った女は、船が岸に着くと塚の前で弔いに加わります。土の中から響くわが子の声。けれど手を取り合うことはかなわず、泣き暮れる母の絶望と悲しみが晩春の川辺に広がるばかりでした。
 金春流以外の流派では『隅田川』の表記となる作品です。

 

花争

 桜が満開になったので花見に出かけようと、主人が太郎冠者を呼び出しました。「花見に行こう」と言う主人に、太郎冠者は「わざわざ山に行かなくても、鼻なら自分の顔にあるのでこれをご覧なさい」と答えます。「鼻ではなく花だ」という主人に、太郎冠者が「それなら花見でなく桜見と言うべきだ」と言い返し、それぞれに古歌を引き合いに出して、「花」と「桜」どちらが正しいか言い合いが始まります。次々に和歌を取り出してくる主人に対して、形勢が悪くなった太郎冠者は、桜の謡を持ち出しますが…。

鸚鵡小町

 陽成天皇の勅使として新大納言行家(ゆきいえ)が、百歳となって関寺に暮らす小野小町のもとを訪ねます。現れ出た小町に、勅使は帝の御製(ぎょせい・天皇が詠んだ歌)を渡そうとしますが、小町は老眼で文字が読めないので詠じてほしいと頼みます。行家が「雲の上はありし昔に変はらねど見し玉簾(たまだれ)の内やゆかしき」(宮中に今も心惹かれているのではありませんか?)と詠み上げると、小町は“や”の一文字だけを“ぞ”に置き換えて「内ぞゆかしき」(今も心惹かれております)とした鸚鵡返しで返歌します。老いてかつての美貌は見る影もなくなったものの、その和歌の才は今なお健在だったのです。やがて小町は行家の求めに応じて、和歌の神に例えられた在原業平の舞姿を真似た舞を舞い、別れを惜しみながら去っていくのでした。
 能の最奥とされる老女物のひとつとして重く扱われる作品です。小書の杖三段之舞は、杖をついて舞うことで小町の老いの深さをより印象付ける特殊演出です。国立能楽堂主催公演としては平成22年以来2度目、観世流では初めての上演となります。

【文/氷川まりこ(伝統文化ジャーナリスト)】

●3月主催公演発売日
  • ・ 電話インターネット予約:2月10日(土)午前10時~
  • ・ 窓口販売:2月11日(日)午前10時~
  国立劇場チケットセンター(午前10時~午後6時)
  0570-07-9900/03-3230-3000(一部IP電話等)
  https://ticket.ntj.jac.go.jp/