国立文楽劇場

開場40周年記念文楽かんげき日誌SPECIAL
十一代目豊竹若太夫襲名披露

東 えりか

私が本格的に文楽にのめり込んだのは平成15年5月(国立劇場)のことだ。「吉田簑太郎改め三世桐竹勘十郎襲名披露」公演であった。舞台にずらりと技芸員の方々が並び、煌々としたライトの下で行われる、口上というものを初めて見たのだ。

襲名披露の演目は『絵本太功記』。文楽を見始めてまだ間もなく、太夫の語る言葉も話の筋も良く分からないのに、舞台に惹きつけられた。なんだろう、この女方の艶めかしさは。なんだろう、この勇壮な男たちの戦姿は。

それからだ。東京と大阪の公演にはほとんど足を運び、時に地方にも遠征して文楽公演を追いかけ始めた。

気がつけば20年が経った。それでもまだまだ初めて観る演目に感動し、日本人の持つ感情の機微の細やかさに驚かされている。

ただここ数年、コロナ禍の期間はさすがに動けず、その直後にいつも一緒に公演を観ていた夫を亡くしてしまい、しばらく舞台を観る気力も失せていた。

だが、今回十一代目豊竹若太夫の襲名披露はどうしても観に行きたいと思った。本当なら一泊して久しぶりの大阪の夜も楽しみたかったが事情が許さず、早朝に新幹線に飛び乗り、通しで第3部までを観てから新幹線と在来線の最終電車で自宅に戻るという強行軍になってしまったけれど、たとえ身体はしんどくても、心は浮きたつ、そんな舞台を堪能させてもらった。

第1部が『絵本太功記』と知った時、ご縁かなと思ったのも、大阪まで行きたかった理由の一つだ。勘十郎さんの襲名披露公演はいまでも頭に残っている。本当に女方から目が離せなかったからだ。21年前の公演で人形は、操を吉田文雀さん、初菊を吉田簑助さんが遣っておられた。

今回は操を「人形遣いに必要なものは謙虚さだ」という吉田勘彌さん、初菊を「チャームポイントは僧帽筋」の吉田簑紫郎さん(プロフィール『文楽名鑑2023』による)であった。時代物にあって、女方は目立つ存在ではないけれど、やはり華であり楔であると今回も強く感じた。

さてお目当ての第2部は「豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露公演」だ。21年前、初めて勘十郎さんの襲名披露を見てから、この「口上」が大好きになった。

真ん中に畏まっている襲名するその人と、長年ともに修業し、良いことも悪いことも一緒に過ごした仲間から、舞台上からは想像もできないやんちゃな姿が披露される。今回も楽しい話が聞けて楽しかったし会場も沸いた。

襲名披露狂言である『和田合戦女舞鶴』「市若初陣の段」の切場は先代の十代若太夫が襲名披露として昭和25年に語った演目だという。

時代物としては珍しく、タイトル通り女性が多く活躍する。主役である浅利与市の妻「板額」を勘十郎さんが勤め、若太夫さんのスケールの大きな語りに負けぬ、男勝りだが細やかな母親役を演じていた。

身代わりに死なせたわが子・市若丸に若太夫さんが語る嘆きの声に、会場から自然と拍手が上がったのも、日本人の心情に響いたからだと思う。子どもが死ぬ演目はどうも苦手なのだが、見ごたえのある舞台だった。

師匠の襲名を弟子の太夫たちがしっかり支える姿もうかがえて、東京の公演も楽しみになった。

私が観劇したのは4月19日の平日。この素晴らしい公演の座席が半分ほどしか埋まらないのは本当にもったいないことだ。

文楽は大阪の誇りではないのか。どうかもっと多くの方に観て面白さを知って欲しいと東京のファンはみな思っている。新幹線代を払ってもおつりがくるほど、心から満足させてもらえるのだから。

■東 えりか(あづま えりか)
書評家。千葉県生まれ。信州大学農学部卒。幼い頃から本が友だちで、片っ端から読み漁っていた。動物用医療器具関連会社の開発部に勤務の後、1985年より小説家・北方謙三氏の秘書を務める。 2008年に書評家として独立。「読売新聞」「週刊新潮」「ミステリーマガジン」などでノンフィクションの、「小説宝石」で小説の書評連載を担当している。2011年、成毛眞氏とともにインターネットでノンフィクション書評サイト「HONZ」(外部サイトにリンク)を始める。好んで読むのは科学もの、歴史、古典芸能、冒険譚など。文楽に嵌って21年。ますます病膏肓に入る昨今である。

(2024年4月19日第1部『絵本太功記』、第2部『団子売』『豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露口上』『和田合戦女舞鶴』『釣女』、第3部『御所桜堀川夜討』『増補大江山』観劇)