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尾上墨雪氏『日本振袖始』「大蛇退治の段」振付にこめた思いを語る

  2月文楽公演『日本振袖始』「大蛇退治の段」の振付をしていただいた尾上墨雪氏に、振りにこめられた熱い思いを伺いました。

~岩長姫という女への思い~

尾上墨雪氏の写真
尾上墨雪氏
     今回の岩長姫という人物のイメージは、内側に自分でも抑えきれなくなってしまっている怒りや、邪悪さを内側にもっている女です。岩長姫は「胸に燃え立つ瞋恚(しんに)のほむら、媚(みめ)良き女を取らざれば、劫火(ごうか)の苦患(くげん)休む間もなし」の詞章に象徴されるように、嫉妬心の虜になってしまっているわけです。しかし、これを単なる悪役として演出するのではなく、人間がそもそも持っている心の動きが噴出しているものと考えたいのです。
  つまり、岩長姫を単なる邪心の塊と考えるのではなくて、心の隅には純粋な気持ちが残っているのではないか。邪悪な心に取り付かれる前はきっと岩長姫はもっと澄んだ心の持ち主であったであろう、私はそう思います。
  この邪心と微かな純粋な心の葛藤こそが、今回の岩長姫の振付の根底にあるイメージです。その象徴が、岩長姫が壷の毒酒に映った月の姿にはっとしてしまうという振りです。
  岩長姫が次々に飲み干してゆく壷の毒酒は、喩えて言うならば、岩長姫が毒酒の満ちた壷であり、そこに純粋なもののイメージとして月が美しく映りこんでいる。この映った月というのは、自分のかつて持っていた気持ちであると考えることができると思います。
  そして、それを覗き込み、飲み干した岩長姫が毒酒に酔いしれるという展開は、皮肉にも彼女が邪悪な気持ちを抑えきれず噴出させてしまうということではないかと考えたのです。結果、岩長姫の大蛇への変化とは、とめどなく噴出してくる邪心の現われなのだと思います。

~岩長姫と対照的な女:稲田姫~

  岩長姫の象徴が邪悪な心であるとすれば、稲田姫は岩長姫が失ってしまった純粋な心の象徴です。だからこそ、岩長姫は激しく稲田姫に迫ってゆこうとするのではないでしょうか。この感情は、岩長姫の中で隠されている純粋さが、うずく情念として現れたのだと思います。私は、稲田姫は岩長姫とは対照的な人間になるように考えています。

~素戔嗚尊と大蛇、その戦いに秘められたもの~

  邪悪な心に立ち向かう勇ましい人物として、素戔嗚尊が登場するわけです。しかし、大蛇は素戔嗚尊にただ退治される存在というわけではなく、姫の品格を持ってもらいたいと思います。岩長姫は姫と呼ばれるだけの人生を生きてきた訳ですから、その経験に基づく品格が大蛇にはあると思うのです。
  素戔嗚尊の雄々しさは、女性に対する情愛がエネルギーになり、それを正義感が支えているのではないでしょうか。だからこそ、大蛇に勇猛果敢に立ち向かうことができるのだと思います。まさに男の中の男、ヒーローの姿ではないでしょうか。

~文楽だからこそ伝えられる心~

  私が振付を考えるときは、まず曲の持っている魅力に共鳴するところから始まります。そこで惹かれた部分に、面白い振付ができそうだという直感を得ます。そして、なぜそこでその振付になるのか、ということに関して理由を探していくのです。振付と理由が合致したときには、「なるほどそうか」と思うものがあります。
  一方、振りが思うように発見できないときは、曲の中にある言葉からイメージを広げてゆき、その中にふさわしい振付をつむぎだしてゆくのです。
  また、振付を考えていて面白いのは、振りと振りとの落差です。実際に振りをつなげてみたときに、面白さを感じてしまうのです。さらには、実際に舞う人とのやり取りの中で、さらに新しい発想が生まれます。ですので、次々に新しく振付が生まれて、舞い手の方に「せっかく覚えたのに…」と言われてしまうこともあります。
   尾上墨雪氏の写真
尾上墨雪氏
  文楽に振りをつけるに当たって、人間に振りをつけるのと違いを意識した点は特にありませんでした。ただ、「飛べるな」、ということは考えました。以前「蝶の道行」の振付をさせていただいたときに、人形だからできる面白さだと興味を覚えました。三人遣いという文楽ならではの人形の操り方に難しさを感じることはありますが、人形だからこそ伝えられる表現があると思っています。人形には、無駄な表情が無いじゃないですか。だからこそ、余念無く心情を直接的に観客の皆様にお伝えできるのではないかと思い、そこに人形の可能性を覚えています。
  「蝶の道行」の振付をしたのは、いまからおよそ40年前です。今回岩長姫を遣う桐竹勘十郎さんが今のお名前を襲名される以前で、まだ足を遣われていました。文楽を支える存在になられた勘十郎さんとこのたび一緒にお仕事をさせていただき、公演を拝見することを楽しみにしております。

~曲の素晴らしさ~

  この作品の魅力の大きな要素として、なにより曲がすばらしい。この曲の中には、人間の持っているリズム感や切ない思いまで内包されていると感じています。こういった感情の動きを実際の舞台でご覧頂いて、感じ取っていただければと思います。鶴澤清治師匠による演奏の盛り上がりが楽しみです。

~人間の存在の深さを感じて、ワクワクして観ていただければ~

  この作品のテーマ性を考えると、私にとって、岩長姫という登場人物は非常に魅力的な人物に思えるのですね。岩長姫は葛藤しています。血を欲してしまう感情、きれいなものに対する欲、宝剣を自分のものにしたくなる力に対する欲、こういった欲心というのは人間が元来持っているものです。それをただ平然と舞うのではなく、そこで岩長姫が葛藤している姿が面白いのだと感じています。先にも述べましたが、この点こそ人間が持っている存在の深さであって、ストーリーによく描かれていると思います。
  ここに、戦う人間の姿が絡み、ご覧になったお客様がワクワクする気持ちを感じてくだされればうれしいと思っています。 (平成24年2月3日 インタビュー)

尾上 墨雪(おのえ ぼくせつ)氏  プロフィール
 昭和18年東京に生まれる。初代尾上菊之丞、六世藤間勘十郎に師事、昭和39年二代尾上菊之丞を襲名し、三代家元を継承する。素踊りに重きを置いた古典の伝承と創作が魅力となっており、歌舞伎・新派・宝塚などの演出・振付など幅広い分野で活躍している。平成23年7月子息の尾上青楓さんに菊之丞の名と家元をゆずり、墨雪と改名。日本芸術院賞など、受賞多数。

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