日本芸術文化振興会トップページ  > 国立劇場あぜくら会  > あぜくら会ニュース  > あぜくらの夕べ 「納涼BIG対談─狂言『木六駄』をめぐって」

国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの夕べ
「納涼BIG対談─狂言『木六駄』をめぐって」

開催日:平成28年8月29日(月)
場所:国立能楽堂大講義室

10月・11月の国立能楽堂では、「演出の様々な形」の第三弾として、狂言の大作「木六駄(きろくだ)」と、能の名曲「葛城(かづらき)」を、それぞれ異なる流派の演出で連続上演します。「木六駄」にご出演の野村萬さん、山本東次郎さんをゲストに迎えてお話をうかがいました。

和泉流の「木六駄」

まずは司会の文教大学名誉教授・田口和夫さんから、狂言「木六駄」の魅力と歴史について解説していただきました。「木六駄」とは六頭の牛に積んだ木のことですが、狂言の最後に太郎冠者が自分を「木六駄」だと名乗る理由は、『義経記(ぎけいき)』の堀川夜討の場で活躍する馬引きの「喜三太(きさんだ)」に由来すると考えられるそうです。また大蔵流、和泉流、鷺流の中で、江戸時代初期からの台本に「木六駄」が残るのは和泉流だけであることから、和泉流で創られ、やがて鷺流と大蔵流でも演じられるようになった経緯がわかります。

田口和夫さん
田口和夫さん

主人から都に住む伯父のもとへ歳暮に木六駄と炭六駄(六頭の牛に積んだ炭)、酒一樽を届けるよう言いつけられた太郎冠者は、大雪の中、牛を追いながら険しい坂道を登っていきます。牛を追う様子も見どころのひとつです。道中、峠の茶屋で太郎冠者は酒を頼みますが、あいにく品切れ。つい贈り物の樽酒をあけてしまい、茶屋の主人と酒盛りが始まります。この時に舞うのが「鶉舞(うずらまい)」です。茶屋に木までやってしまった太郎冠者は、ほろ酔い加減のまま炭六駄だけをひいて伯父のもとへ。主人の手紙から嘘が発覚した太郎冠者は「筆者の誤り」と言いますが、これは能「俊寛」における「さては筆者の誤りか」に倣ったもの。そして近頃自分は木六駄という名前に変えたと言う太郎冠者に、伯父も「おもしろう名がかわった」と納得します。以上が和泉流の展開です。

大蔵流山本家の「木六駄」

一方、大蔵流も大蔵家、茂山家、善竹家では基本的に和泉流と同じ展開ですが、山本家だけは大きく異なります。太郎冠者が伯父のもとに運ぶのは、木六駄と樽酒のみ。ここで山本東次郎さんに解説していただきます。

山本東次郎さん
山本東次郎さん

「山本家での木六駄は、伯父が官位に就いた祝いに家を建て直すための普請の材料です。しかもその材木を三十本運べというのですから大変です。太郎冠者は最初は嫌がりますが、お酒を飲ませてもらって行くことになります。一方、木の到着を待ちかねて茶屋に様子を見にきた伯父が奥の間で休んでいると、太郎冠者がやってきて、茶屋の主人と酒盛りを始めます。それまで苦しめられていた雪を愛でながら酒を飲み、太郎冠者は「兎(うさぎ)」という舞を舞い、茶屋の主人にも舞を所望する。この小舞の礼に木を全部茶屋にやってしまいます。酔いつぶれた太郎冠者を奥から出てきた伯父が見つけて、太郎冠者に問いただす──という流れです。ある意味シンプルな筋立てです」。

酒盛りの場面で和泉流に登場する「鶉舞」は、野村萬さんの叔父、九世三宅藤九郎さんが鷺流から取り入れたものとされていますが、東次郎さんによると、三世茂山千作さんが藤九郎さんに頼まれて「鶉舞」を教えたことがあるとか。司会の田口さんも「初めて聞きました」という新情報でした。

なごやかなムードで会話もはずみます
なごやかなムードで会話もはずみます

太郎冠者の頂点

今回の「木六駄」では萬さん、東次郎さん共に茶屋を演じ、太郎冠者はそれぞれ野村万蔵さん、山本泰太郎さんが演じます。

「木六駄」は萬さんの父、六世野村万蔵さんが得意としていました。「父の太郎冠者は軽妙洒脱。ずっと見てきたので体にしみついています。自分の体の中から父が甦ってくるうちに、後進のためにも見せておかないといけませんね」と萬さん。また山本家の「木六駄」について「狂言の最もオーソドックスな形ではないでしょうか。先代東次郎先生の雪の中での転び方が見事でした」という萬さんに、東次郎さんは「芸養子の父は後の世代に芸を繋げるための〝繋ぎ〟に徹して、自分の『木六駄』を見せる気はなかったのではないかと思います。萬先生がおっしゃった滑り方をはじめ、自由に見えて細かく型づけされ、様式の狂言だと言われてきました。『木六駄』の太郎冠者はほかの狂言にくらべて対立や葛藤がなく、いわば〝一筆書き〟ができる狂言だと思います」。

野村 萬さん
野村 萬さん

萬さんは「狂言の代表的な役柄である太郎冠者の中でも、『木六駄』は頂点と言っていいと思います。私もはじめは曲に跳ね返された印象がありますが、段々と曲の中に入り込めるようになってきました。演ずる側は写実に思いが行きがちですが、寒さを感ずる体の凝縮度や、サセイ、ホウセイ……といった掛け声が持つ距離感が大切です。酒を一杯飲んでからよりも、前半の寒さとの闘いが大事でしょう。叔父(九世藤九郎)は簑につける雪にも俳味(はいみ)があり、素敵な雪の姿でした」と、太郎冠者を演じる姿勢と思い出を語りました。

大切にしたいこころ

話は現代における狂言の在り方についても及びます。「機械化が進む時代だからこそ、狂言の持つ素朴なこころを大切にしていかなければならないと思います。〝能楽堂に行けば美しい日本語に出会える〟という場にできるよう、私どもはもっと修行をしていかなくては」と萬さんが力を込めると、東次郎さんも「喋ることも動くことも、楽な方に体を持っていってはいけないと父たちから教わりました。若い人たちを見ていると、楽をすることが当たり前のように見えることもあって恐ろしくなります。意思を伝達する言葉が快く伝わるように、言霊(ことだま)という意識を持ってもらえたら」と、次代を担う世代に対する切なる願いを語りました。

狂言のこころについて熱く語られる萬さん
狂言のこころについて熱く語られる萬さん

お二人の楽しくも率直な語り口に、「木六駄」の演出の違いや魅力、また狂言の未来にも思いを馳せることができる、貴重な「あぜくらの夕べ」となりました。

【公演情報】

◎演出の様々な形

10月21日(金)午後6時開演 <好評発売中>
狂言「木六駄」(和泉流)・能「葛城‐大和舞‐」(観世流)
公演の詳細はこちら ≫

11月18日(金)午後6時開演 <好評発売中>
狂言「木六駄」(大蔵流)・能「葛城‐神楽‐」(喜多流)
公演の詳細はこちら ≫

あぜくら会ではこれからも会員限定の様々なイベントを開催してまいります。皆様のご参加をお待ちしております。

あぜくら会ニュースに戻る