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国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの夕べ
「吉田玉女改め二代目吉田玉男 襲名披露 特別座談会」

平成27年5月8日(金)開催
於 国立劇場小劇場

4月の国立文楽劇場(大阪)、5月の国立劇場(東京)にて襲名披露を終えた二代目吉田玉男さん。あぜくら会では東京公演の開幕に先立ち、新玉男さんを迎えて特別座談会を開催しました。第一部で初代吉田玉男の思い出の舞台映像を上映、第二部では吉田和生さんと桐竹勘十郎さんも交えて、同期入門の人形遣い三人がそろい踏み。山川静夫さんの名司会に導かれ、初代玉男の思い出話や二代目襲名の決意など、大いに語っていただきました。

初代の意外な素顔

初代吉田玉男の舞台映像
初代吉田玉男の舞台映像「菅原伝授手習鑑」丞相名残の段より(当時83 歳)

第一部では「新吉田玉男が選ぶ初代吉田玉男思い出の舞台映像」と題して、初代吉田玉男(1919~2006)の貴重な舞台映像を上映しました。『仮名手本忠臣蔵』の由良助、『義経千本桜』の知盛、『冥途の飛脚』の忠兵衛、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、『曾根崎心中』の徳兵衛といずれも立役人形遣いの名手と謳われた初代の代表作ばかりです。気品あふれる佇まいで人形に魂を吹き込む初代の57歳から83 歳までの懐かしい舞台映像に満場の客席もしばし酔いしれました。

映像の後はいよいよ座談会です。昭和43年に初代玉男に入門、吉田玉女を名乗った二代目玉男さん、昭和42年に吉田文雀に入門した吉田和生さん、実父は人形遣いの名人二代目桐竹勘十郎で、昭和43年に吉田簑助に入門、吉田簑太郎を名乗った三代目桐竹勘十郎さんは、同期入門の人形遣いとして半世紀にわたり切磋琢磨し合いながら現在に至ります。

まずは「初代の思い出を」と山川さんが水を向けると、人形を遣う姿の端正さからは想像できない初代の愛すべき素顔が垣間見えるエピソードが次々と飛び出しました。「昔聞いた話では」という玉男さんによれば、若き日に「熊谷陣屋」で三代目吉田玉助さんの左遣いをつとめていた初代が、なんと首実検の場で使う首(かしら)を忘れたことがあるとか。この時に藤の方を遣っていたのが和生さんの師匠である文雀さんで、初代が首を取りに行っている間、「うちの師匠が(熊谷の)左を持っておりました」(和生さん)。また、勘十郎さんは『義経千本桜』の「道行」で、初代が遣う狐忠信の狐の尻尾が本番中に取れてしまい、笑いが止まらなくなった初代が狐で顔を隠しながら遣うという、貴重な(?)場面を目撃したことがあるそうです。

身をもって示した芸

そんな茶目っ気のある一面も見せつつ、芸には妥協なき追求を重ねた初代。「人形遣いに引退はない」の持論通り、80歳を越えてなお、知盛や熊谷といった立役の大役をつとめました。山川さんが「先代は詞(ことば)ではない〈地合い〉の部分で人形をどう遣うかが大事だとよくおっしゃっていましたね」と問いかけると、「師匠はオーバーには遣わずとも、お客さんによく分かるように、ということをつねに心がけて表現していました」と玉男さん。『生写朝顔話』で一度初代の左を遣ったことがあるという和生さんは、自分の詞ではない部分での“思い入れ”に感銘を受けたと語り、「お客さんには動いていないように見えるかもしれませんが、朝顔の詞などに対する反応に凄さを感じました」。勘十郎さんも続けて「じっとしている場面でも自分の気持ちを入れて遣わないといけない。玉男師匠を僕も真似したいんですが、なかなかそうはいきません」。一見、派手な動きには見えない中で初代が何を表現しようとしていたのか、次世代の三人がそれぞれ深く受け止めていたことがよくわかります。

4人対談の様子

自分の芸をつくる

人形遣いの修業には「熱意、観察力、忍耐」が必要と説いていた初代。中学卒業後に入門した玉男さんは「じっとした役ばかりの師匠の足を遣うのは、僕もまだ子どもでしたから最初は我慢ができませんでした。でも、そこを我慢して舞台全体を見ながら勉強すれば、役を理解して自分なりの人形を遣えるようになると後々分かります。その経験をさせていただいたことに感謝しています」。

勘十郎さんは、ある時初代から「どっちの真似もしたらあかんで」と言われて戸惑ったそうです。「毎日、師匠や先輩たちの真似をどれだけできるかに必死でしたから、急にそう言われて非常に悩みました(笑)。今になって、芸は人それぞれのものであり、自分で自分の芸をつくりなさい、という意味で言うてくれはったんやとわかりますけどね」と述懐します。山川さんも「人形遣いによって考え方もそれぞれ。個性を大事にしてほしい」とエールを送りました。

二代目としての決意

入門から約半世紀、改めて歩みを振り返った玉男さんは、「師匠のように健康に気をつけて、80歳を越えても文楽の人形遣いでありたい。時代物や近松物など、二代目玉男として、より大きく遣えれば」と力強く決意を語りました。同年生まれで「性格も芸風も正反対」という良き仲間にして良きライバルの勘十郎さん、二人と共演も多い和生さんという同期トリオは、「若い時から長い時間を一緒に過ごしただけにやりやすく、あうんの呼吸があります」(和生さん)。これからも三人が競演する多くの舞台を観たいものです。

山川さんのリクエストで熊谷を遣う3人 画像
山川さんのリクエストで熊谷を遣う3人

最後は山川さんのリクエストに応えて、熊谷を同期三人で遣うというサプライズ!主遣いを玉男さん、左遣いを和生さん、足遣いを勘十郎さんという何とも贅沢な三人遣いによる「棒足」で決まります。会場からは割れんばかりの拍手喝采。翌日からの襲名披露公演に向けて、期待もますます膨らむ特別座談会となりました。

あぜくら会では、伝統芸能を身近に感じていただけるよう、今後もさまざまなイベントを企画してまいります。皆様のご参加をお待ちしております。

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