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国立劇場あぜくら会

イベントレポート

竹本文字久大夫さん、野澤錦糸さんを迎えて、
「復曲素浄瑠璃を聞く会」を開催いたしました。

竹本文字久大夫さん、野澤錦糸さん
竹本文字久大夫さん
野澤錦糸さん

3月18日、あぜくらの集い「復曲素浄瑠璃を聞く会―復曲の現場に立ち会う―」を開催いたしました。
『釜淵双級巴(かまがふちふたつどもえ)』は、元文2年(1737)7月に大坂豊竹座で初演された全三段の時代物で、作者は並木宗輔です。戦国時代の大盗賊で、京都三条河原で釜煎りの刑に処せられた石川五右衛門を主人公とする作品です。
長らく文楽での上演は途絶えていましたが、このたび「五右衛門内の段」「藤の森の段」「七条河原釜煎りの段」が、野澤錦糸さんによって復曲されました。
竹本文字久大夫さんと野澤錦糸さんによる熱のこもった演奏を、会員の皆様にお聞きいただいた後、産経新聞記者・亀岡典子さんを聞き手に、復曲にあたっての思いをうかがいました。

亀岡 ただいま演奏を終えられたばかりのお二人に、たっぷりと復曲の苦労話、この曲の魅力などをうかがえればと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
今回の復曲の作業は、いつ頃から取りかかられたのですか?
錦糸 昨年、やはり「復曲素浄瑠璃を聞く会」(あぜくらの集い・平成24年3月23日開催)で『大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)』を担当しまして。それが終わった段階で取りかかりました。ですから丸一年ぐらい、大夫さんの稽古に入ったのは夏でしたね?
文字久大夫 そう、8月くらいです。
亀岡 2回ほどお稽古を拝見しましたが、今日の演奏直前までお二人で擦り合わせ、一言一句解釈して…という、すごく丁寧な作業を重ねながら復曲していらっしゃると思いました。
この義太夫の詞章を初めて読んだ時、どんな感想を持たれましたか?
亀岡典子さん、野澤錦糸さん、竹本文字久大夫さん
亀岡典子さん
野澤錦糸さん   竹本文字久大夫さん
錦糸 面白い作品だなと思いました。それから(三味線の)手数(てかず)がちょっと多く作ってあるので、どうしてもしつこい感じになる。あとは何ヶ所か、わからない言葉がありましたね。
文字久大夫 たとえば「五右衛門内の段」で、強請(ゆすり)に来た三二五郎兵衛にお瀧が言う「金借る度にいたかはなせ。さう胴欲には――」。こんなのはわかりませんでした。どないしょう…と(笑)。
亀岡 お稽古では他にも、「あひ見る茶」が掛詞になっているというのも、お二人で意味を確認しながら進めておられました。
錦糸 五郎市が、お母さんの着物にお茶をこぼしてしまい「あひ見る茶とぞなりにける」。「みる茶」は茶色の一種で、それとどんな意味を掛けているのかと。
亀岡 「みる茶」は藍色がかった茶色。それを「あひ見る(相見る)」と掛けているわけですね。そういう箇所が多いのが、苦労されたところでしょうか。
それから、石川五右衛門といえば歌舞伎の『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』など、百日鬘(ひゃくにちかつら)のスーパーヒーローというイメージもありますけれど、『釜淵双級巴』では生活感のある、家族思いの人物。ということは、人形では文七(ぶんしち)の頭(かしら)に白塗りで、百日鬘ではなかったのでしょうね。
文字久大夫
いえ百日鬘だったようです、文七の頭で。
文字久大夫さん 文字久大夫さん
亀岡 そうですか。
後妻のお瀧は女版の、いわゆる“もどり”(非道な行動をするが実は善人で、死に際して真情を吐露する役)と考えていいですか?
錦糸 ええ。思いきり子をいじめないと、あとの“もどり”がきかないんです。
亀岡 お瀧に重なるような、文楽に出てくる女性の役はあまりないと。
その父、三二五郎兵衛はいかがでしょうか。
錦糸 義平次(『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』)より、もっと悪いぐらいでいいのではないでしょうか。泥棒の五右衛門と渡り合うわけですから。
亀岡 この作品には少し類型からはずれた、いろいろな役が登場しているようですね。
錦糸 上演を重ねるうちに、台本や解釈も変わります。特に子どもが難しい。
文字久大夫 いい役ですけれどね、子どもは。
亀岡 私がお稽古で驚いたのは、最後に「石川や浜の真砂はつきるとも世に盗人の種はつきまじ」と、五右衛門が辞世の句を言う。それを錦糸さんが、五右衛門が咄嗟に考えたのか、それとも事前に用意していたのかと、疑問を投げかけられていたわけです。それによって語られる人物が変わってくると。そこまで考えていらっしゃるのかと思いました。
文字久大夫 「石川や浜の真砂は…」(何度か語り方を変えて実演。そして重厚な調子で)、これだと立派過ぎますか?
錦糸
(会場の参加者に)どない思います?
このお芝居では、手下の居所を教えたら釜煎りでなく打首にしてやると言われる。しかし泥棒としてのプライドが許さず、辞世の句を言うんですが、今、文字久君が言ったように「石川や…」と(強く、あるいは重厚に)やったら用意していたように聞こえる。それでは安っぽいのではないかと僕は思ったので、役人とのやりとりがあって、その上で辞世の句をと言うので、「石川や…」と。その方がいいのではないかという結論になったんです。
錦糸さん 錦糸さん
亀岡 辞世の句を用意していたのなら、ヒーローとしての石川五右衛門像と重なる気もします。錦糸さんのおっしゃる方が、より人間味が感じられますね。
また、五右衛門は仲間がいるので泥棒をやめられないと恥じている部分があるように見えますが、その点はいかがですか。
文字久大夫 やめたいとは思いますけれど、いろんな事情からやめられない。
錦糸 ということは、本心はやめたくないんですよ。本当にやめたければそうしているわけで、できないから(仲間と)一緒にいる。僕はなかなかタバコがやめられなかった、本当はやめたくないから(笑)。
亀岡 この作品は文楽では上演されなくなりましたが、歌舞伎で昭和40年代まで上演していたらしいです。『楼門五三桐』は今でも盛んに上演されていますが、これはどうしてなのでしょうね。
錦糸 問題があるとすれば、段切りがもう一つ盛り上がらないですね。「藤の森」も、もう少し文章があれば洒落たものになると思います。
亀岡 錦糸さんは以前にも、「ちょっと余韻がないな」とおっしゃっていましたね。人形入りで上演する時は、もう少し整理や補曲が必要でしょうか。
錦糸 無理に変えるのは良くないですね。やっているうちに変わってくるもので、淡々としている良さも浄瑠璃にはあります。語りと三味線音楽には、いろいろな要素がありますから。
亀岡 そういえば、五右衛門が七条河原で引き立てられるところで、初世岡本文弥が創始した文弥節が使われていましたね。古い浄瑠璃ですけれど、そうしたものが入る場合もあるわけですか。
錦糸 あります。(文弥節は)哀れを誘う場面に多いですね。
文字久大夫 「親にも子にも首枷の背に細縄の菱の紋…」と。
他に、語りのほうで難しいのが、「藤の森」で父親が五右衛門から渡された刀を見て実の息子と気づくところです。難しいけれども…この親子の対面が、釜煎りの場にもつながるわけです。
錦糸 五右衛門はまだ実父と気づいていない。しかし、お父さんは刀を見て気づく。
錦糸さん 文字久大夫さん
錦糸さん
文字久大夫さん
亀岡 父親と五右衛門、五右衛門と五郎市という親子の物語があるのも、全体にふくらみを持たせている気がします。本当は後ろにもっと続く部分があるんですよね。
錦糸 下の巻は他にもいろいろとあって立廻りになり、捕まって七条河原になる。ただ、譜面が残っていない部分も多いんです。
亀岡 今日語っていただいた前の部分に「葛籠(つづら)背負(しょ)ったがおかしいか」という詞(ことば)があり、歌舞伎で五右衛門が‘葛籠抜けの宙乗り’をする時に言うせりふの原典になったということです。こうした部分もある面白い作品ですので、今後も素浄瑠璃の会や、人形入りの本公演でもぜひお願いしたいのですが、いかがですか。
文字久大夫 そうですね。
錦糸 そんな形になったら嬉しいです。
亀岡 それを願いしまして、お開きとさせていただきます。本日はありがとうございました。

お二人の熱のこもった実演とお話に、会場のお客様からは「登場人物が生きてセリフを言っていたのを目の当たりにして、浄瑠璃の凄さを実感」「予想していたよりずっと面白い、力強い作りで人間には無理。人形でなければという作品」「ぜひ本公演で上演してほしい」との感想をお寄せいただきました。

「あぜくら会」では今後もこのような会員限定イベントを企画してまいります。
皆様のご参加をお待ちしております。

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