国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの夕べ「吉田一輔を迎えて」を開催いたしました。

左から葛西聖司さん、吉田一輔さん
葛西聖司さん
吉田一輔さん

12月1日、文楽の世界では珍しい人形遣いの三代目で若手のホープ・吉田一輔さんをお迎えして、「あぜくらの夕べ」を開催いたしました。聞き手は、歌舞伎や文楽など伝統芸能に造詣が深い古典芸能解説者・葛西聖司さんです。一輔さんによる人形の実演解説に続いて、葛西さんが登場。「文楽応援団」とおっしゃる葛西さんの巧みなリードで、話題を呼んだ「三谷文楽」や人形遣いの家に生まれた思いなど、一輔さんからたっぷりお聞かせいただきました。

葛西 一輔さんのご活躍は皆さんご存じの通りですけれど、今年は特にお忙しかったでしょ? 国立文楽劇場の「仮名手本忠臣蔵」(11月公演)も大入りだったんですよね。
一輔 おかげさまで。東京ではよく大入りが出ますけど、大阪ではなかなか出ないんです。今回、いろんなことがありまして…。そのおかげと僕らも言いたくないけれど(笑)、お客さんが入ってくれたというのはうれしいですね。
葛西 私は大阪勤務時代に、おじいさんの(桐竹)亀松さんから拝見していたんですが、もったいないくらい入りが悪い時があったんですね。舞台は名人揃いだったのに、不思議でした。大阪の人は物見高いというのかな、国立文楽劇場が出来た時にワッとお客さんが入ったけれど、しばらく経ったらまたそっぽ向いて(笑)。 今回も大騒動がありましたけど、世界遺産として評判になっていても、日本人が応援しない限りはね。
一輔 そうですね、特に地元の大阪が、けっこう入りが悪かったもので。今回を機会に、お客さんどんどん増えていただたいたら、僕らもやりがいがありますし。
葛西 東京から観に行かれた方もたくさんいたようだし、「よかった」という声を聞くとうれしいですよね。 一輔さんは、今年、メディアにもずいぶん出ましたね。「三谷文楽」と銘打った三谷幸喜さんの「其礼成心中(それなりしんじゅう)」という作品が上演されて。実は私、拝見できなかったんですが、仕掛人が一輔さんなんですよね。 何年も前からあった話なんですって?
一輔 3年前に三谷さんが文楽公演を見に来られて、たまたまご紹介があったんです。その時すでに三谷さんにも、文楽をやりたいというお気持ちがあったようでした。「ぜひ、文楽を書いていただけないですか」と軽いノリでお願いしまして。 その1ヶ月後に三谷さんに呼ばれて、東京でお会いして話している時にはすでに、三谷さんは「やる」と決められてました。うれしかったですね。
葛西 それから話し合って構想を固めて行ったんですか。
一輔
吉田一輔さん 吉田一輔さん
まず、「どういうことが出来ないか」という話をさせてもらって。三谷さんは「人形遣いも人形もずぶ濡れになることは出来るか?」とか、「ダミーの人形を作って燃やすことは出来るか?」とか。可能性を探るためにおっしゃったんですけれど。
葛西 やっぱり、三谷さんは今までやってないことを考えられるわけですね。内心では、「ダメダメと言っていたら新しいものが出来ない」という不安を抱えながらも、一輔さんは「ダメ」と言った。
一輔 はい。あとは「俳優さんが一緒に出る」とか。
「僕はいいかな」と思ったことでも、「大夫さん、三味さんからすると違うんじゃないかな」と。いろんな意見を出し合いました。
葛西 最初は一輔さんがきっかけだったけれども、文楽をするには大夫、三味線の協力がないと出来ない。三谷さんは芝居の人だから、役者を出したいという気持ちもあるのでしょうね。
一輔 「其礼成心中」には近松門左衛門の役が出てきたんです。その役は他の役とは別格のものにしたいという発想が三谷さんにはあったようで、「役者で出来ないか?」と。 「それは出来ない」と言ったら、今度は「大きな人形を作ってやれないか?」と。結局、それは出来なかったんですけれども。
葛西 「其礼成心中」は、「曽根崎心中」が有名になって心中場の入口にある饅頭屋さんが儲からなくなったというお話で、その饅頭屋の主人が一輔さんの役なんですよね。饅頭屋の主人が、心中しにくる男女を説き伏せたりと忙しい。 やっぱり三谷さんは素晴らしいですね。
一輔 ちゃんと文楽の名場面的なところもあって。愛のある作品に仕上げてくださいました。
葛西 でも、一輔さんがすごいと思うのは、文楽という規範の中で、ある意味では三谷さんを取り込もうとした、ここが偉いと思います。若ければ、三谷さんは有名だから迎合しそうになりますよね。
一輔 最初、僕もそういう葛藤はありましたけれど、そこはやっぱり文楽を応援してくれるお客さんもありますので。僕らとしては絶対にそこは譲れない。
葛西
葛西聖司さん 葛西聖司さん
そこがね、一輔さんが志をもって演劇運動にかかわったというのがすごくうれしいと思ったし、ここでこだわったからこそ、再演も可能なものになったんですよね。
文楽として上演できる床本のベースを三谷さんが書き上げたというのは、素晴らしい才能だと思います。曲は(鶴澤)清介さんがお作りになって。
半兵衛の人形は、‘かしら’にこだわったんですって?
一輔 『文楽のかしら』という写真集を三谷さんにお渡ししておいたら、その中からいろんな役をイメージされたみたいで。一番こだわったのが、主役の半兵衛のかしらでした。
葛西 一輔さんがイメージしたかしらと、彼が考えたのと、一緒でした?
一輔 違うものでした。僕や(竹本)千歳大夫さん、清介さんは「三枚目のかしらかな」と思ってましたけれど、三谷さんは「ふだん主役にならないかしらを主役にしたい」と。文楽は、性格とかしらが合っているのが基本なので…
葛西 そのかしらでは、大夫は語れない。
一輔 そういうことですね。
で、話し合ったけれども、そこは三谷さんが譲らない。じゃあ、どうするかと。
その間を取るような語りでやってみると、全然問題なかったんです。
葛西 文楽ルールの中では出来ないと思っていたけれど、意外と出来たんですね。
何というかしらになったんですか?
一輔 「虎王(とらおう)」です。ふだんは悪役や頑固な役に使うようなかしらを、三枚目的な使いかたで。
葛西 そうやって、ひとつのものが生まれてくるんですね。総合力と文楽の面白さで出来上がった。改めて、今年の仕事のひとつとしてどうでしたか?
一輔 非常にプレッシャーでしたけれど、お客さんの反応がよかったのがうれしかったですね。
僕らは稽古している強みがありますのでね、三谷さんであろうが何だろうが、自信を持ってやれる。師匠方に育ててもらっていますので、そういう自信はみんな持ちました。
葛西 つまり、自分たちの土俵で勝負できる。お互いによかったですね。なぜ自信を持てたかといえば、年齢ではありません、やっぱりキャリアです。 一輔さんが入門されたのは…
一輔 13歳です。
葛西 13歳から一筋に、今年でちょうど30年。
ご存知のように3世代続いている人形遣いさんとして、さっき、おじいさんの思い出を申し上げましたけれど、家ではどんなおじいさんでしたか?
一輔 ふつうの優しいおじいちゃんでした。
葛西 おじいさんは、この世界に入ることについては?
一輔 喜んでくれましたけど、楽屋入りするとものすごく怖かったです。何から何まで厳しくて、掃除のしかたも毎日怒られました。僕が入った頃には体力的にも弱っていましたので、殴られたり蹴られたりはないんですけれど。重鎮と言われる人がそばにいるというのは、すごい緊張感でした。
葛西 お父さん(桐竹一暢)はどうでした? きれいな顔をしている方でね。本当に品があって。
一輔 父も家ではふつうのお父さんで、優しかったんです。でも、師匠としてはすごく厳しかった。芸については教えてくれなかったですね。「見て覚えろ」と。簡単に訊くことは僕もイヤなので。
葛西 10年単位の修行、まして青春時代の10年って、すごい投資だと思います。私は熱しやすく冷めやすいから、たぶん破門になると思うんだけど、そういう危機感は?
一輔 足遣いのはじめの頃は、本当にしんどいだけなんですよね。動きは少なくて、後は雑用しかない。僕は短い時間でもじっとしていられない。「こんなことも出来ないのに、僕にはやっぱり無理や」って思いました。でも、最終的には出来るようになっている自分がいて。
葛西 気付いたら出来ていた…と。そこで格闘して自分のものにしていくんですね。
一輔 何べんも「やめよう」って思いましたけど。
葛西 そんな時にいい役が来たりするんでしょ?
葛西聖司さん、吉田一輔さん
葛西聖司さん
吉田一輔さん
一輔 そうなんです。
だんだん役も持たせてもらって、お客さんから拍手もらったりすると、癖になるんですよね。
葛西 拍手というご褒美。自分が遣えたという満足感ですか?
一輔 いままで動きが少なかったのが、何段階か踏んで、主役の足を遣わせてもらえるようになったり。だんだん上がっていくのが実感としてわかるんです。
幸せなことに父が師匠だったので、どんどん遣わせてくれたんですね。僕がまだ何も出来ない状態から、自分自身を捨てて、僕を育ててくれようとした。経験を積ませてくれたのがすごく勉強になりました。
葛西 お父さんですね、やはり
一輔 左遣いになった頃に父が亡くなりまして、すぐに簑助師匠のところに行きました。
すると簑助師匠も僕に、すぐ主役級の役の左をやらせてくれたんですね。技術的にはまだまだ達していない僕を使って、育ててくれたというのは本当に恵まれてます。
葛西 そのありがたさをわかっているというのがすごいですね。
簑助師匠のすごさというのは、どういうところに感じますか?
一輔 もう空気感が違うんですよね。どうしたらあんな風になるのか、僕らもまったくわからないんです。(衣裳の)中は僕らも見えないですからね。とにかく盗んでやろうと。たぶん手が伸びたりしてるんじゃないかと(笑)。
師匠は、動きのサインをほとんど出さないんです。慣れない左遣いだとわからないと思います。やはりきっちり詞(ことば)と曲と気持ちがひとつに流れているので、次の動きがわかるというか。たぶん僕は長いことやらせてもらってるからわかると思うんですけれど。
葛西 やはり文楽は、人形の動きだけできなくて浄瑠璃、三味線、みんな一緒になってるんですよね。その先が、全体が入ってなければ動けない。
一輔 はい。浄瑠璃…、詞を聞いてないと。
ちょっとした肩の動きで、「お金の話が出てきたから、何か動いたら、数えるんやな」とか。次の何かを予測できる。だから詞を絶対に聞いとかないと。
葛西 さて、おじいさんが「桐竹亀松」、お父さんが「桐竹一暢」、今は「吉田一輔」さんになりまして、みなさんは「どの名前継ぐんだろうな?」ってお思いかなと…。
どちらの名前が好きですか? 憧れは?
一輔 どうですかね。「一暢」という響きはすごくいいですけれど。
葛西 どういう名前になるか楽しみですね。
「桐竹」と「吉田」では、頭巾が違うんですって?
一輔 今は誰もいてないですが、「桐竹」は四角い頭巾で。僕が最後だったみたいですけれど。
簑助師匠のところに弟子入りする時に、「名前と頭巾は家のものを残せ」と言ってくれたんですけど、僕も一から出直さなあかんと思って、「そんなことはいいです」って切り替えたんです。
葛西 それで「吉田」になったんですね。今は、自分が選んだ道で「吉田一輔」という名前を名乗っていらっしゃる。
楽しみはこれからたくさんありますが、巡業でも全国に行きますよね?
一輔 はい。でも巡業がどんどん減ってきているのはさびしいですね。とにかく全国に広めないと。観てもらえる人が多くなればなるほど、僕らもやりがいがあるので。
葛西 そうです。そういう起爆剤の一つが、「其礼也心中」でしたね。
私も大阪にいる頃に一番勉強させていただいたのが文楽なんです。師匠方からたくさんいろんな話をうかがったのが楽しかったですね。
一輔さんは次の世代の中心で、文楽ではこうして花形級の人たちが育ってきています。でも、まだまだみなさんの応援がないと、文楽の火はいつ消えるかわからない。巡業も少なくなってはいますけれど、思いがけない役を演じる場合もありますから、みなさん、巡業もチャンスなんですよ。
ぜひこれからも応援したいと思います。「文楽応援団」、葛西聖司でした。ありがとうございました。
一輔 ありがとうございました。

さすがは名アナウンサー・葛西さんの巧みな話術により、一輔さんから本音トークと満面の笑顔が引き出され、会場は大いに盛り上がりました。お客さまからは「身近に人形の動きを見られてよかった」「対談は終わってほしくないくらい楽しかった」「吉田一輔さんの素晴らしい人柄、魅力に触れて、さらに応援しようという感じになりました」との感想をお寄せいただきました。

あぜくら会では今後もこのような会員限定イベントを企画してまいります。
皆さまのご参加をお待ちしております。

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