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国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの集い
「新歌舞伎と大正・昭和初期の時代」

開催日:11月1日(水)
場所:国立劇場伝統芸能情報館・レクチャー室

神山彰さん

 

国立劇場11月歌舞伎公演『坂崎出羽守』『沓掛時次郎』に先立ち、「あぜくらの集い」を開催しました。大正・昭和前期に活躍した作家山本有三と長谷川伸による〈新歌舞伎〉の傑作が生まれた時代背景とその魅力を、明治大学文学部教授の神山彰さんに解説していただきました。

 

◆新歌舞伎のスピード 「新歌舞伎の面白さは、大正・昭和前期という時代の共通性を抜きにして語れません」という神山さん。
大正時代に大衆的人気を博した芸能の代表が浅草オペラやレビュー、新国劇、少女歌劇であり、これらに共通する大きな特徴が「スピード」でした。「明治末期、帝劇の女優劇では高速度喜劇が売り物の一つで、ハイスピードで口上を述べていたそうです。少女歌劇では汽車のダンスが人気を呼び、浅草オのレビューの売りはスピードとエロとナンセンス。そして新国劇といえばスピード感あふれる立ち廻りです。築地小劇場でも台詞のスピード感は不可欠なものでした。
こうした先行芸能に影響を受けた新歌舞伎もスピードが大きな魅力であり、岡本綺堂の『佐々木高綱』では二代目市川左団次が歩きながら怒鳴る場面が話題を集めました。歩きながら言える台詞が綺堂の新しさで、これは黙阿弥ではできません。台詞のテンポも速かったんです」

 

◆ノスタルジア─故郷の喪失 大正後期から昭和初期にかけての大きな出来事といえば、大正十二年(一九二三)に起きた関東大震災です。震災後、娯楽には三つの傾向が現れたと神山さんは指摘します。「贅沢を諌め質素を旨とするストイック(禁欲的)な傾向と、ジャズやダンスホールの興隆に代表される享楽的モダニズム、そして震災で灰燼に帰した江戸の名残を懐かしむノスタルジアです。新歌舞伎の作家でいえば、禁欲的な主人公を描いたのが山本有三、長谷川伸、小山内薫。享楽的な傾向の代表は谷崎潤一郎や吉井勇。そしてノスタルジーの世界に入っていったのが岡本綺堂と永井荷風でした」 
特に故郷を思うノスタルジアは、当時の文学、映画、歌謡曲に強く見られた傾向だそうです。「外地も含め、故郷を思う気持ちは今よりも遥かに共感されていたはずです」と神山さん。そうした傾向は演劇作品にも反映され、その代表が「故郷を失った文学」を書き続けた長谷川伸でした。

 

◆裏切られる男─『坂崎出羽守』 禁欲系の山本有三が六代目尾上菊五郎のために書き下ろした『坂崎出羽守』は、大坂夏の陣で千姫を猛火の中から救出した坂崎出羽守が裏切られ、葛藤する物語です。初演は大正十年(一九二一)。この時期の文学作品に多いテーマの一つが「裏切り」でした。
「大正から昭和にかけて、新歌舞伎だけでなく新派や新国劇でも、裏切りというテーマは人々の心を強烈につかみました。震災や戦争、引き揚げといった局面で、誰かを裏切らなければ自分の命が助からないという切羽詰まった状況が身近にあった。山本有三は特に、裏切られた方が破滅するという残酷な世界を描きました」。ここでも作品のテーマが時代背景と切っても切り離せない関係であることがわかります。

 

◆故郷と孤独という魅力『沓掛時次郎』『坂崎出羽守』と同じく漢字五文字のタイトルでありながら、その決定的な違いは名字であるか否か。「坂崎」は名字ですが、「沓掛」は地名です。「名字を名乗れるのは侍だけ。庶民は長い間、名字なしで生きてきました。その寄る辺となるのが土地の名前です。故郷と土地の記憶は、我々が想像できないほど強いものがあった。河竹黙阿弥も罪を犯して故郷を追われた男たちを描きましたが、歌舞伎が古典芸能として地位を得るにつれ、そうした故郷の喪失は取り上げられなくなりました。それを描いたのが新派、新国劇、新歌舞伎でした」。
故郷を失い渡り鳥的な生き方を選ぶ男たちは、戦後の任侠映画などでも繰り返し描かれた人物像です。 戦後間もない時代までは、生まれ親の顔を知らない、あるいは戦災孤児も多く存在していました。任侠物などの主人公は天涯孤独の身の上であり、その代替として親分・子分、義兄弟と信頼関係を結びます。加えて、家庭の幸福に対する禁欲は、長谷川伸ならでは。「任侠物に漂う独特の孤独感は、主人公が家庭を持っていては成り立たない。独身なればこそです」という神山さん。 
また長谷川伸の世界では歌声が故郷を呼び起こす、つまり「喚起装置」の役割を果たしたと神山さんは指摘します。土地と故郷と歌声、そして名字のない人生。『沓掛時次郎』という作品に漂う寂寥感の魅力には、こうした背景がありました。

 

 

博覧強記の神山さんによるお話に、1時間半があっという間。近代主義的なテーマや人物の内面を探るだけでなく、時代背景から作品を読み解く醍醐味が感じられた「あぜくらの集い」となりました。



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