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9月文楽公演「鰯売恋曳網」の作曲を手がけた 豊竹咲大夫氏・鶴澤燕三氏、脚本・演出の織田紘二氏を迎え、「あぜくらの夕べ」を開催しました。

左から脚本・演出の織田紘二氏、作曲を手がけた豊竹咲大夫氏・鶴澤燕三氏
左から脚本・演出の織田紘二氏、作曲を手がけた豊竹咲大夫氏・鶴澤燕三氏

 9月8日、あぜくら会員限定のイベント「あぜくらの夕べ」が開催されました。新作文楽「鰯売恋曳網」の作曲を手がけた豊竹咲大夫氏・鶴澤燕三氏、脚本・演出の織田紘二氏をゲストに迎え、作品誕生のきっかけや義太夫節の作曲方法など、制作現場ならではの話題で盛り上がったイベントの模様をダイジェストでレポートします。

没後40年の今年、三島由紀夫の文楽への思いを一つの形に・・・

織田紘二さん
織田紘二さん

今回の企画は、三島由紀夫が残した歌舞伎作品「鰯売恋曳網」を、文楽としてお見せしよう、というものです。
私は昭和44年当時、国立劇場芸能部のスタッフとして、同年11月に上演された三島さん最後の歌舞伎作品『椿説弓張月』の制作に関わり、昭和45年11月にお亡くなられるまでの1年半の間、三島さんの助手のような立場にありました。
三島さんは、この『椿説弓張月』の上演と前後する時期から、文楽に傾倒していったように思います。特に、本日お見えの鶴澤燕三さんのお師匠さんにあたる先代の燕三さんに非常に敬服しておりまして、どんなに忙しいときでも、燕三さんの出番だけは客席で聴いていらっしゃいました。

私は、それを近くで見ていて、三島さんの文楽に対する強い思いを感じ、 『椿説弓張月』を文楽にしませんかとお話をさせていただきました。しかし残念なことに準備作業の途上、上の巻を完成したところで三島さんは亡くなられてしまいました。あと1、2年でもご存命だったらオリジナルの文楽をきっと書いていたのではないでしょうか。
生前、雑談めいた中で、三島さんが「文楽にするなら『鰯売』だね」とおっしゃっていました。没後40年にあたる今年、何かできないかと思っておりましたが、国立劇場と打ち合わせを重ね、『鰯売恋曳網』を文楽にすることができました。また、作曲は最初から、咲大夫さん、燕三さんにしていただくつもりでおりましたので、お二人のおかげでこの作品が成り立ったということを感謝したいと思います。三島さんがどう評価してくれるかはわかりませんが、喜んでくれるのではないでしょうか。

作曲にあたって

豊竹咲大夫さん
豊竹咲大夫さん

作曲をするにあたり、大事なのは本です。本ができてくると、自然と曲のイメージが見えてきます。
今回は、義太夫節の古典から様々な部分を織り交ぜて作曲しています。本当にいろいろと入っておりまして、文楽をご愛好いただく方でしたら、おなじみの曲が聞こえてくると思います。また、自分なりの楽しみとして、義太夫節だけではなく、俗曲や長唄の一節も盛り込んでいます。
作曲していて思ったのですが、三島さんの本には、古典の曲が自然とはまっていくのですね。三島さんが持っていたイメージに沿って曲が仕上がっていくように感じました。

鶴澤燕三さん
鶴澤燕三さん

先ほど織田さんからお話がありました通り、私の師匠は、三島さんの作品も含め、本当によく作曲を頼まれておりました。その師匠が晩酌のときなど、問わず語りに「作曲をするには穴があくほど、とにかく本を読むことや。読んでいるうちに曲がスーッと浮かんでくると、それを書きとめる。」と、おっしゃっていました。三島さんに関しても「昭和の近松や」とよく仰っておりました。三島さんの作品は、すらすらと節が出てくると。
また、今回は、咲大夫さんのやりたいことが具体的にはっきりしていましたので、咲大夫さんの作る節に三味線の手をつけていく、この作業はとてもやりやすかったですね。

台風9号の影響による大雨で足もとの悪いなか、たくさんのお客様にお集まりいただきました。三人の興味深いお話にお客様もたいへん盛り上がり、最後の質問コーナーでは、たくさんのご質問を頂きました。あぜくら会では、今後もこのような会員限定イベントを随時企画していきます。皆様のご参加をお待ちしております。