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国立文楽劇場

新興芸能が伝統芸能になるには

玄月

豊竹英太夫さんが六代豊竹呂太夫を襲名され、その口上を拝見した。一昨年は吉田玉女さんの吉田玉男襲名もあり、めでたいことが続いている。

名跡が長く引き継がれたり復活したりするのは、伝統芸能ならではであって、歌謡界や映画界などの新興芸能ではまだ見られない。

まだ、といったのは、この先わからないからだ。天才的な歌唱力を備えた少女が、長じて「二代美空ひばり」を襲名しないとも限らない。それは、演歌が「伝統芸能」になってからのことで、やはり五十年や百年の時が必要だろう。

伝統芸能も始まったころは当然、新興芸能であった。時代物の代表作「菅原伝授手習鑑」も、菅原道真にまつわるよく知られた「歴史」を、その時代の世相に即して翻案された。

世話物などは「曽根崎心中」のように、リアルタイムのゴシップであったりした。文楽は非常に柔軟な芸能だったのだ。

そんな新興芸能も、長い時を経て古典と呼ばれるようになった。

現代でも、シェイクスピアを題材にしたり新作が作られたりと、新たな試みがされているが、基本演目は古典。桐竹勘十郎さんも、古典に勝るものはない、何百年もかけ練りに練った浄瑠璃や演出に、新作が勝つということはあり得ない、とどこかでおっしゃってる。

「菅原伝授手習鑑」は、三年前に通し狂言を見た。今回は、ほぼ後半の段の上演だけである。豊竹呂太夫さんの襲名披露狂言は、「寺子屋の段」。最大の見せ場である。

大義のために、自らの子の首を差し出す。身が引き裂かれるような選択は、時代物において必須である。粗筋だけを見れば、ああ悲惨だな、という程度で、いわば耐性ができている。

なのに、実際に客席から臨むと、ぐいぐい引き込まれ、太夫の声も三味線の音もなんだかよくわからなくなるほど、舞台に魅入られてしまう。何度観ても、耐性ができないのだ。

おなじ演目を何百年も続けられる意味が、勘十郎さんのおっしゃることが、わかる。

「曽根崎心中」は三回目の観劇である。江戸幕府により心中物が禁止され長く演じられることがなかったが、昭和に入って新たに脚色されたものだ。約90分という映画並の気安さで観られるのはうれしい。

粗筋はもちろん、道行の名文、「この世の名残、夜も名残。死にに行く身を譬ふれば仇しが原の道の霜。一足づつに消えて行く、夢の夢こそ哀れなれ」もそらんじている。重要な場面も脳裡にくっきりと浮かべることもできる。

最後の心中場面、人形がどう動くかわかりながら、背筋を伸ばしたまま前のめりになっている自分に気づく。やがて、ああ、と声を漏らし、背もたれに身を任せて、しばし放心。太夫と三味線と人形遣いの、なにがよかったなんてわからない。ただ、もう一度観たいと思った。

■玄月(げんげつ)
作家。大阪南船場で文学バー・リズールをプロデュースし、経営している。1965年生まれ。大阪市立南高等学校卒業。2000年「蔭の棲みか」で第122回芥川賞受賞。著書に、『山田太郎と申します』『睦言』『眷族』『めくるめく部屋』『狂饗記』など。大阪府在住。

(2017年4月11日第一部『寿柱立万歳』『菅原伝授手習鑑』『襲名披露口上』、
18日第二部『楠昔噺』『曾根崎心中』観劇)

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