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国立文楽劇場

理不尽さとリアリティ

くまざわ あかね

近松門左衛門が亡くなる2年前、70歳のときに書いた最後の世話物が、今回第二部で上演されている『心中宵庚申』です。
新聞の見出しに「一家心中」「無理心中」などの言葉が飛び交う現代では、「夫婦の心中」と言われても「あぁそうですか」と普通に受け止められかねないのですが、『曽根崎心中』や『心中天網島』など近松のほかの作品と並べてみると、やっぱり異色作だと言わざるをえません。

物語は上中下の中の巻、「上田村の段」から始まります。夫が留守の間に妻の千代が姑に離縁されて実家へ戻ってくるのですが、どうなんでしょう夫の半兵衛。妻の大ピンチのさなか一体どこに行ってたのか? 家にいて奥さんのこと守ってあげなさいよ、と言いたくなる気持ちを抑えてパンフレットをよくよく読めば、浜松へ出かけていたらしい。って浜松? なんでそんな遠くに?

気になって文庫本『近松世話物集』に収録されている『心中宵庚申』上の巻を読んでみたところ、浜松で父親の墓参りをしたあと(実家が浜松やったんですね。けどそこから大坂の八百屋に養子に来たとは。なんでそんな遠くへやられたのかという疑問は残る)、かの地にいる腹違いの弟に会いに行っておりました。この弟というのが、浜松城主の家臣・坂部郷左衛門の家の小姓・山脇小四郎で、若く美しいことから家中の男子にモテモテなのです。衆道の契りを結びたい、という申し込みが殺到しています。

若い侍たちが「弟さんとの仲を取り持って!」と兄・半兵衛の元へ頼み込んできたため、弟に死装束を着せて「本当に弟が恋しければこの場で互いに刺し違えてみよ」と覚悟のほどを迫ります。みながもじもじする中、一番身分の低い男が恋に命を散らそうとしたため、見事想いを叶えることになりました、めでたしめでたし。

このあとのお千代・半兵衛の展開とあまりにもかけ離れたストーリーだからでしょうか、というかこの「上の段」がなくてもまったく問題ないからでしょうか、ずっと上演が途絶えていますがこれ、復活したらおもしろいだろうになぁ。無理なのかなぁ。 「上の巻」の中で、半兵衛について「魂は武士」「形(なり)こそ町人心は侍」と言っているのもあとへの伏線として効いています。

なにも知らぬまま半兵衛が浜松から大坂へ戻ってきたところ、妻の千代が離縁されて実家に戻されており、妻と母との板挟みになって苦悩することになります。弟の恋路はうまくさばけても、自分の家庭はままならないのが皮肉なところです。

そもそもなぜ半兵衛の母はこんなにも千代を嫌うのか。あとから書かれた改作『増補八百屋の献立』では、義理の息子に恋慕のあまり嫉妬で嫁いびりをした、となっています。
「こういう理由でこうなった」と因果関係がはっきりしていれば、見ているお客さんも「そうだったのか」と納得しやすいですし、書く側も求めに応じてつい謎解きを入れたくなってしまいます。が、近松はそれをしていない。
母が千代を嫌うのに理由はなく、ただ相性の問題。半兵衛の台詞に

「人には合ひ縁奇縁、血を分けた親子でも仲の悪いがあるもの。
 乗り合ひ舟の見ず知らずにも可愛らしいと思ふ人もある」

としてあります。
好きなものは好き、嫌いなもんは嫌い。ただムシが好かんということもある。なぜ、どうして、と言いたくなるのをとどめてただその事実がゴロンと、丸太のように台本の上に転がされています。
母親が千代を嫌って離縁するのは行き過ぎだし理不尽極まりないのだけれど、でもそういうことってあるよね、そんなもんだよね、と思わせてしまうリアリティがあるのです。
カミュの『異邦人』の「太陽がまぶしかったから」という殺人動機のように、人間の気持ちや行動なんてハッキリ説明できるものばかりじゃない。カミュより200年以上も前にそう書ききっていた近松はノーベル文学賞に価するのではないでしょうか。

■くまざわ あかね
落語作家。1971年生まれ。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2017年11月6日第二部『心中宵庚申』『紅葉狩』、
11月7日第一部『八陣守護城』『鑓の権三重帷子』観劇)