文楽かんげき日誌

無音のチカラ

髙田 郁

朝、ラジオを聞いていたら、パーソナリティーさんが「昨日の夜、国立文楽劇場のサマーレイトショーを観て来ました」と話しておられました。

もともと文楽の大ファンの彼は、今回の演目「夏祭浪花鑑」の観劇を心待ちにしていた、とのこと。「大好きな演目で、歌舞伎では幾度も観てますけれど、文楽は初めてだったんです。いや~、よかった! 最後はイヤホンガイドも外して舞台に集中しました。迫力があって本当に素晴らしかった」と、番組の冒頭、ほぼ十分ほどをかけて熱弁を振るっておられました。

丁度、最新刊の念校を手離して放心状態だった私は、このオンエアを聞いて「これは是非とも観に行かねば」と思いました。

ここ数年は何かと気忙しく、「夏休み文楽特別公演」の第一部、第二部を観劇させて頂くのが精一杯で、第三部は見逃していました。今回は逆に第三部サマーレイトショーに絞って、いそいそと国立文楽劇場へと向かいました。

パンフレットとイヤホンガイドを入手し、着席して周囲を見回せば、ほぼ満席の状態です。人気の演目なのだ、と再認識しつつ、まずはパンフレットを熟読。鑑賞ガイドの一行目の「延享二年(一七四五)、大坂・竹本座初演」の文字に目が釘付けになりました。

実は今、私が手掛けております「あきない世傳 金と銀」シリーズの第四巻は延享二年の晩秋から物語が始まります。同巻で主人公の幸が生まれて初めて人形浄瑠璃を観劇する場面が登場するのです。物語は虚構ですし、幸も架空の人物ではありますが、まさに同じ時代に初演を迎えた、という事実に何とも縁を感じました。

今回の演目をネタバレにならない範囲でざっくりお伝えするならば、団七、三婦、徳兵衛という男気溢れる三人を軸に、それぞれの女房の気風、磯之丞と琴浦の恋、そして、団七による舅殺しを描いたものです。「長町裏の段」では、俗に「殺し場」と呼ばれる凄惨な殺人場面があるため、私はこれまで意識して見ずに済ませておりました。

どうにも殺しが苦手で、たとえば「女殺油地獄」などは題名だけでもういけません。それほど臆病な人間ですが、今回は覚悟を決めて幕の開くのを待ちました。いざ、物語が始まると、私の気持ちは、登場人物のひとり、磯之丞に苛々しっぱなしです(磯之丞ファンのかた、ゴメンなさい)。

恩人兵太夫の息子という一事ゆえ、団七らに大切に扱われる磯之丞ですが、私から見れば、これがまぁ、何ともロクデナシなのです。琴浦という恋人がありながら、なおかつその恋を皆に応援されていながら、ちゃっかり別の女に手を付けてしまう。しかも行きがかり上、ひとまで殺してしまいます。

「何このロクデナシ」

観劇中、幾度、舌打ちしたくなったことでしょうか(磯之丞ファンの皆さま、本当にゴメンなさい)。

三婦が磯之丞の窮地を救ったり、徳兵衛の女房お辰が磯之丞を匿うため顔に火傷を負ったりする度に、「そこまでして守る値打ちがこのロクデナシにあるのか」とどうにも腹立ちがおさまりません。もっとも、通しで観たなら、磯之丞にも汲むべきところはあったのかも知れません。ただ、今回はそこに思い至ることもなく、私の中で磯之丞は「あほぼん」以外の何ものでもありませんでした。

片や、団七の舅、義平次の悪役ぶりといったら、それはもう惚れ惚れするほどあっぱれなのです。

学生時代、刑事政策を学んでいた時に、殺人、特に尊属殺人の背景には已むに已まれぬ事情が潜んでいる場合が実に多い、と感じ入った経験があります。ひとの命を奪うことほど罪深いものはないのですが、そこに至る過程で加害者側の心情に気持ちを寄せることは可能です。そうした意味では、義平次の挑発ぶりは見事としか言えません。

「いつの間にやら娘のお梶と乳くりやがって、市松といふ子までへり出さしをつた」だの「その頤をこの雪駄の皮でさすり歪めてやろうか」だの、まさに言いたい放題、やりたい放題。

我慢に我慢を重ねた挙句の、「毒喰はゞ皿」との団七の台詞には、観る者を「うん、うん、それはそうなるよね」と妙に納得させる力がありました。

ところで、冒頭のパーソナリティーさんが殺し場ではイヤホンガイドも外した、と話しておられました。私は最後までイヤホンガイドを耳に差し込んだままでしたが、とても不思議なことに、殺し場ではイヤホンからは何の音も流れて来ません。途中、幾度か、「線が抜けたかしら」と確かめましたが、そういったこともなく、無音のままです。ガブの説明が入るまで、解説は一切なし、という潔さ。いやぁ、イヤホンガイドの心遣いに感服しきりでした。

私の最も苦手とする凄惨な殺しの結末でありながら、BGMのように流れる祭囃子、提灯の明かり、韋駄天走りの団七の姿があまりに美しく切なく、心に刺さります。幕が下りたあと、何とも表現しがたい思いで、のろのろと席を立ちました。

「歌舞伎だと、あの場面はどんな風になってるのかしら」

客席から扉へと向かう道中、そんな会話を交わしているお客さんが何組もいました。それぞれがイヤホンガイドを手にしています。「あの場面」とは、やはり殺し場のことかな、と思いつつ、私はイヤホンガイドの線をくるくると巻いて、返却コーナーのクリアボックスにそっと戻しました。

要所、要所を押えつつ、決して出しゃばらない。観る者に考える余裕をきちんと残すイヤホンガイド、本当に大した仕事ぶりです。いえ、勿論、素晴らしいのは舞台そのものなのですが、「文楽はちょっと敷居が高い」と思っておられるかた、「物語の世界にちゃんと入って行けるかしら」と不安を感じておられるかたには、強力にお勧めします。

■髙田 郁(たかだ かおる)
兵庫県宝塚市生まれ、中央大学法学部卒業。 漫画原作者を経て2008年に「出世花」にて時代小説に転身。著者に「みをつくし料理帖」シリーズ、「銀二貫」、「あい 永遠に在り」などがある。新シリーズ「あきない世傳 金と銀」最新刊となる第四巻「貫流篇」は近日発売予定。

(2017年7月30日第三部『夏祭浪花鑑』観劇)