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国立文楽劇場

善六的生き方

チチ松村

初春文楽公演第一部と第二部を観ました。第二部の「お染久松 染模様妹背門松」で、お染久松って名前は良く聞くけれど、どんなお話なのかは全く知りませんでした。

なるほど、よくある身分違いの悲恋心中物かと思って観ていたのですが、久松の父・久作とお染の母おかつに、二人が縁を切るよう説得される場面で不覚にも号泣してしまったのです。何で好きな二人が別れなければならないのか?何と言う時代錯誤だと頭では分っているのに、涙があふれてしようがありませんでした。多分親の子を思う気持ちが、身分の差とか時代を超えて伝わってきたからでしょう。

ただ僕が思うに、あまりにも世間の目を気にし過ぎているので、このような悲劇になっていくような気がします。皆が誠実で真面目過ぎるのがひっかかるのです。今回大活躍する三枚目悪役の善六なら、このようなことにはならなかったでしょう。現に蔵の前でお染に言い放ったその言葉「あの乳臭い久松と二人こつそり暮らすため、先立つ金の宝物、取り出す心であらうがな…」が物語っています。これを聞いた時、善六も良いこと言うな、本当にそうして逃げたら良いのに、と思ったほどです。多分その時代でもこんな考え方で生き続けた人がいっぱいいたはずです。まあそれでは後世に語り継がれるものにはならなかったのでしょうが。

まだまだ文楽初心者の僕ですが、善六のようなチョイ悪三枚目のキャラに惹かれてしまいます。何故か人生を逞しく楽しんでいるように思います。人形のかしらでも「三枚目」や「手代」が登場すると、思わず笑みがこぼれて嬉しくなってしまいます。

悲しい生き方をしている美男美女より、とぼけた表情の完璧でない人達が好きです。例えば前に観た「金壺親父恋達引」みたいな。あれは井上ひさしさん作の現代版だったので、古典物で、このような人物が主役的な演目というのはあるのでしょうか?教えて欲しいです。

■チチ松村(ちち まつむら)
1954年大阪生まれ。10代後半から音楽活動を始め、ソロアーティストとして関西で活躍。ゴンチチ結成以降は、音楽活動の傍らエッセイ等の執筆も行い、『わたしはクラゲになりたい/河出書房新社』『ゴミを宝に/光文社』『それゆけ茶人/廣済堂出版』『緑の性格/新潮社』『盲目の音楽家を捜して/メディアファクトリー』など、これまでに14冊の著書を上梓している。一方、自らを「茶人」を称し、風流な生活を実践。「変な物好き」としても広く知られている。

(2017年1月19日第一部『寿式三番叟』『奥州安達原』『本朝廿四孝』、第二部『染模様妹背門松』観劇)