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国立文楽劇場

我慢強いにもほどがある

仲野 徹

錦秋公演は見応えのある演目が目白押しだった。六つの狂言のうち何から紹介したらいいのやら難しいが、まずは上演が19年ぶりという『花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)』「志渡寺(しどうじ)の段」からいきましょう。

讃岐の民谷坊太郎が江戸で父の敵討ちをするというのが狂言全体のストーリーである。その幼少期、志度寺に預けられている七歳の坊太郎をめぐるお話が「志渡寺の段」である。いろんなエピソードの展開があるけれど、なんといっても圧巻は、乳母であるお辻が水垢離をしながら、口がきけなくなる病に罹った坊太郎の病気平癒を金毘羅大権現に祈るシーンだ。

思いあまって腹を切り裂き断末魔の襲い来る中、祈願を続けるお辻。清介さんのシンプルだが激しい撥さばきの三味線にのって、これでもかと英太夫さんの『南無金毘羅大権現』がさまざまなバリエーションで何度となく繰り返される。和生さん遣うところのお辻の動きもすさまじい。大悲、悲壮、壮絶、絶妙、妙技、いろんな言葉が頭をかけめぐり、三業一体というのはこういうことを言うのかと思い知らされる舞台であった。

そして坊太郎が口を利けるようになって、命と引き替えとは言え、目出度し目出度しとなる。かというと、そうではない。坊太郎、親の敵討ちをとるために、口が利けないふりをしていただけなのである。う~ん、いくらきつく命じられていたとはいえ、我慢しすぎだろうが坊太郎。無限の愛を注いでくれた乳母の割腹を止めずに死なせてどうするんだ。

我慢強いといえば、『艶容女舞衣』「酒屋の段」のお園もそうだ。「今頃は半七様(はんひっつあん)どこにどうして ござらうぞ」は、すべての浄瑠璃の中でいちばんといってもいいほど有名な文句である。そのくどきの場面、寛治さんの三味線、津駒太夫さんの語りで、勘十郎さん遣うお園がじつに悲しげに身悶える。なんとも哀れをさそう、これも三業一体で最高の見せ場だ。

しかし、その内容を聞いていると、辛抱強いのはええけど、いくらなんでも我慢しすぎとちゃうんか、と言いたくなってくる。主人の半七は、お園という嫁がありながら、女舞芝居の芸人である三勝(さんかつ)と恋仲で子どもまで産ませている。その上、三勝がらみで殺人まで犯してしまったのである。

そんな状況であるにもかかわらず、お園は、自分さえいなかったら、こんなことにはならなかったのに、と嘆くのだ。そりゃまぁ、嫁はある程度我慢強い方が望ましかろう。無いものねだりとはいえ、日常的にそれはよく理解している。しかし、ものには限度がある。あまりに我慢しすぎて、めそめそしすぎるから半七が家にいつかへんようになったんとちゃうんか、と意見したくなってしまう。

それに対して我慢が足りないのは、『恋娘昔八丈』のお駒だ。演じられた「城木屋の段」と「鈴ヶ森の段」の間に、気に染まぬ結婚をさせられた主人を殺めている。いくら悪い奴で諸般事情があったとしても、やっぱりそれはあかんでしょう。我慢がたらなかったといえば、『増補忠臣蔵』に登場する桃井若狭之助だってそうだ。元はといえば、若狭之助が高師直に対してキレたりしなければ、塩冶判官の悲劇もなかったはずなんだから。

『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』では、安珍を追って日高川までやってきた清姫が、船頭に渡し船を出してもらえず、川に飛び込んで白蛇に姿を変えてしまう。我慢しきれず川に飛び込んだのではあるが、あそこまで我慢したから白蛇になって川を渡れたという見方もできない訳ではない。よって、清姫の我慢がどうであったかという評価は保留にしておきたい。

そしてご存じ『勧進帳』である。心ならずも主を打擲せざるを得ない弁慶の我慢。一方、弁慶のような怪力に力一杯打擲されるのを身じろぎもせずに耐える義経の我慢。どちらも相当な我慢であるが、なんとか奥州へ落ち延びんとせんがため、バランスのとれた美しき我慢の主従関係である。

『勧進帳』は、歌舞伎ではかなり頻繁に上演される。それを何度も見ているせいもあって、どうも文楽にすると不自然さが出てしまうのではないかと思っていた。文楽から歌舞伎に移された演目というのはたくさんあるが、ひょっとしたらとネット検索してみると、やはり『勧進帳』は歌舞伎から文楽へと逆である。何が言いたいかというと、観劇するまでは、文楽の勧進帳って歌舞伎に比べたらおもろないのとちゃうのか、と思っていたのです。スミマセン、間違えてました。

いきなり太夫が七人に三味線が七挺。見ただけで大迫力だ。全員が弾き、語る場面になると、床下すぐにお座りの方たちの耳は大丈夫だろうかと心配になるほどの「だ~いお~んじょ~(大音声)」状態である。いやぁ、ほんまにすごかった。人形の数も多い。弁慶、富樫、義経、四天王に番兵が二人と、いちばん多い時は9体もがずらずらっと並ぶ。

しかし、特筆すべきはなんといっても弁慶である。三人とも出遣いで遣われるのである。少なくとも素人目にはそれほど特殊な動きがあるように見えないのに、どうしてなのだろうかといぶかっていた。しかし、最後に納得できた。

文楽にしては珍しく花道がしつらえられている。なんでも15年ぶりらしい。勧進帳といえば、飛び六方による弁慶の花道への引っ込みである。人間がやっても複雑な動きである。その六方が人形遣いでおこなわれるのだ。これも正直なところ、人間ほどにはできるまいと思っていた。スミマセン、これも間違えてました。

すごい迫力だった。普段、人形遣いさんの足の動きを見ることはない。狭い花道を縦長に並んで遣われる、あわただしいともいえるダイナミックな動きを、それも真横から見る。あまりの迫力に、思わず息を我慢してしまっていた。大げさではなく、人形を遣う三人の魂だけでなく、客席全員の気持ちが人形に乗り移ったような気さえした。弁慶はほんとうに飛んでいるようだった。

考えてみますに、我慢だけでなく、愛憎、忠孝、孝行、義理、人情などいろいろな側面から、それぞれの演目を読み解くこともできそうであります。昔の人たちは、いろいろな文楽を見ながら、これは許せるけど、あそこまでいったらあかんやろう、とか考えながら、自分の立ち位置を調整していたのかもしれませんね。はい、わたしは、もうちょっと我慢強く生きたほうがええかもと反省しました。いやぁ、ほんまにええもん見せてもらいました。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹英大夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。

(2016年11月3日第二部『増補忠臣蔵』『艶容女舞衣』『勧進帳』、
11月5日第一部『花上野誉碑』『恋娘昔八丈』『日高川入相花王』観劇)