日本芸術文化振興会トップページ  > 国立文楽劇場  > 錦秋文楽公演 勧進帳を観て

国立文楽劇場

錦秋文楽公演 勧進帳を観て

下平 晃道

今年は例年よりも紅葉が美しいように感じます。秋の澄み渡った青空の下に、もりもりと繁った山の木々が、日を追うごとに色数を増しています。山が緑の色をしている間は、ひとつの塊であったのに、そこに色が増えてくると、それぞれの木々に目がいくようになります。京都の東にある自宅から見える山を見て、山の中腹あたりに、ひときわ目立つ紅葉を発見しました。

さて、先日、錦秋文楽公演第二部を観てきたのですが、第二部の最後の演目『勧進帳』の舞台は、加賀国(現在の石川県)の安宅の関。 頼朝の手を逃れて、京から奥州平泉へ逃避行する、義経、弁慶、四天王から成る一行が、旅の山伏の姿(義経はさらに目立たぬように、荷物を運ぶ身分の低い強力の姿)に変装して、この関所を通過しようと企てます。しかし、この安宅で待っていたのは、切れ者の関守、富樫。一行は正体を疑われるのですが、それを弁慶が義経を守るために様々な機転をはたらかせ、この難局を乗り越えるというのが、大まかな話の筋です。 義経一行は初春に京を出発し、花の季節に安宅に到着したようなので、いまのような紅葉の時期には、頼朝に悟られぬように、密やかに京を発つ準備をし始めていたのでしょうか。

さて、午後4時から、『増補忠臣蔵』と『艶容女舞衣』を立て続けに見終えて、余韻に浸りながら長めの休憩をとった後、『勧進帳』の幕があがります。すると舞台背景には、ドーンと松の絵。舞台上手にはずらりと7人ずつ並ぶ、太夫と三味線(計14人)は壮観です。

影向の松
『勧進帳』は、能の『安宅(あたか)』という話を元に、歌舞伎の演目として創作され、それが文楽へと移植されてきたのですが、この松の絵は、能舞台の鏡板(舞台後の背景にあたる部分)に描かれている松の絵と同じく、春日神社の影向(ようごう)の松の前で能が演じられていた名残と言われています。「影向」とは「神様が姿を現すこと」という意味で、この松には神様が降りてくるのだそうです。ちなみに、下手に掛かっている、紫、黄、赤、緑、白の5色の揚げ幕から人物が現れるのも能と同じ形ですが、この揚げ幕の色も、五行思想に由来するなど、調べてみると細部に様々な意味があって面白いです。

パンフレットを見ると、各登場人物に一人ずつ太夫が割り振られている模様。実は、文楽を見始めてから長いこと、落語のように、太夫が一人で色んな人物やナレーションを演じ分けるタイプと、この『勧進帳』のように、複数の太夫が台詞や場面ごとに、語り手が変わるタイプがあることに気がついていませんでした。何しろ、太夫、三味線、人形、さらには字幕と、目に入る要素が多いので、最初は混乱する上、いったん物語に入り込むと、誰が語っているかということさえ忘れて、のめり込んでしまうからです。

パンフレット
毎回、楽しみなのがこのパンフレット。配色や着物の生地をあしらった模様も美しく、内容も技芸員のインタビューが載っていたり、史実と照らし合せた演目や時代背景の検証があったりして、読み応えあります。
僕にも「文楽入門・ある古書店主と大学生の会話」(←久堀裕朗先生がパンフレットに連載中:ためになるし、毎回とっても面白いです)の竹田さんのように、文楽を指南してくれる人がいれば良いのですが。

ところで、この三味線の多さからすると、僕が勝手に「音の壁」と名付けている、迫力満点の合奏が聴けそうだと予感しました。 さて、舞台上の人数の多さもさることながら、嫌でも目につくのは、客席までせり出してきた花道。まるで歌舞伎のようです。上にも書きましたが『勧進帳』は、能の演目『安宅』が、歌舞伎へ移され、さらに、それが文楽へと移植されたもの。でも、この文楽公演で花道を見られるのは、非常に珍しい(今回は15年ぶり)とのこと。 冒頭、「頼朝と仲違いした義経が、山伏になりすまし関所を通過しようと企んでいるので、どんな山伏もここ(安宅の関)を通してはならぬ」という宣言をしながら、関守の富樫が番卒と共に現れます。

関守富樫と番卒
主役級の富樫(三人遣い)と脇役の番卒(一人遣い)。描かれ方が、劇画タッチの絵と、へのへのもへじくらい違うのだけど、実は、この番卒や、「近頃河原の達引」に出てくる猿のような、一人遣いの人形のかわいらしく、大胆な動きが大好きです。

山伏の衣裳
勧進帳の弁慶の山伏の衣裳。上に羽織る水衣(みずごろも)も、大口という袴も、能から文楽へ移入された衣裳。仏教の祈祷で用いる輪宝や梵字(サンスクリット)を用いている。調べてみると、当時、真言を唱えながら苦行を重ねる山伏は、その異様ないでたちもあって、霊的な力があると尊敬されていたそうで、普通は山伏だというだけで無条件で関所を通過できたようです。なるほど、だから義経一行は山伏に変装していたんですね。

義経たちに疑惑の目を向ける富樫は、もしも本物の山伏なら、寄付を集めるために読上げる文章、つまり勧進帳を持っているだろうから、それを読上げてみせろと、矢面に立つ弁慶に詰め寄ります。 もちろん本物の勧進帳を持っているはずがありませんが、機転を効かせた弁慶は、持っていた白紙の巻物を取り出して、あたかも本物であるかのように読上げます。それがあまりに見事で堂々としていたので、関守たちはすっかり本物の山伏と考えを改め始めました。ところで、どうして弁慶にこんな芸当ができたのかというと、弁慶はかつて比叡山の僧だったという過去があるのです。強くて教養があり、酒にも強く、舞えば美しく、仁義も忘れないという、弁慶のスーパーマンぶりが遺憾無く発揮されるのが、この『勧進帳』。 そんな弁慶に、しつこく疑いをかける富樫。中盤は、左右に立つ二人のテンポの良い掛け合いが見どころ聴きどころです。しかし、ついに富樫が「やはり本物の山伏か」と思うに到ります。

義経、早く!
一度は騙された富樫ですが、いちばん最後に関所を出ようとした強力が義経に似ていると言い出します。蛇のようなしつこさ!でも、この時、強力(になりすましている義経)の動きは異様なほどスロー。観ているこちらは、早く通り過ぎて!と気持ちが焦りますが、案の定、富樫に呼び止められてしまいます。

しかし、ここでも弁慶が機転をきかせ、「歩くのが遅く、我々に迷惑をかけている上、義経にまで間違われるとはけしからん!」と、手に持つ金剛杖で強力のことを散々に打ち付け、疑いを晴らそうとします。その必死さから、逆に富樫には、義経一行の正体がわかってしまいます。それなのに、弁慶の気持ちに強く胸をうたれ、安宅の関通行を許すのです。義経を取り逃がすことは大罪になるでしょうに、あえて気がつかない振りをした、富樫の心中を慮ると泣けてきます。

弁慶、酒を吞み、舞う
先ほどの非礼を詫びたいと、酒を携えた富樫が、番卒を伴って義経一行の元へやってきます。そこで、場は急に宴の席となり、弁慶は大酒を吞み「延年の舞」を舞います。

笛の演奏がぴたりと終わり、静けさから一転して、三味線の演奏が始まります。ここで、待望の「音の壁」が立ち上がりました。客席に向けて解き放たれる音の重なりが、無事に難所をくぐり抜けた義経一行の開放感と重なり、ゆったりとした大きなウネリとなって、耳に柔らかな圧力をかけてきます。 舞台の方へ目を戻すと、弁慶の見事な舞に、富樫たちが気を取られている間、弁慶は義経たちを静かに出発させ、義経たちが去った花道の末尾で、金剛杖を大きく振りかざし、何度も見得をします。僕は、この弁慶を見ていたら、突然、京都の山の中腹に見えた、ひときわ目立つ紅葉のことを思い出しました。

弁慶の見得
数ある『勧進帳』の見せ場の中でも、やはりこの花道で見せる弁慶の見得はかっこいい。

そして大きな拍手の中、花道を駆け抜けていく弁慶を見送ると、今回も三味線の音の余韻を楽しみながら帰路につくのでした。

■下平 晃道(しもだいら あきのり)
イラストレーター、美術作家。1973年生まれ。東京造形大学彫刻学科卒業。2002年よりフリーランスのイラストレーター(Murgraph または下平晃道)として活動を始める。以後、広告、雑誌、装画、ウェブサイト、ミュージシャンやファッションブランドとコラボレーションした商品等のイラストレーション、ライブドローイングなどの仕事を手がけている。京都市在住。

(2016年10月31日第二部『増補忠臣蔵』『艶容女舞衣』『勧進帳』観劇)