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国立文楽劇場

残念だけど楽しみな世代交代

東 えりか

一昨年の住太夫さんの引退、源太夫さんのご逝去、そして嶋太夫さんの引退興行が終わったばかりだというのに、吉田文雀さん引退の報が伝わったのがこの3月。武家の妻の凛とした佇まい、老婆の哀しさを秘めた強さなど、またひとり掛け替えのない人形遣いが舞台を去られた。

いままさに、文楽の世界では世代交代がすごい勢いで進んでいる。公演ごとに若手太夫にチャンスを与える懐の広さが生きてきたのか「この人はこんなにいい声だったのか」と驚かされることがとても多い。今回の公演でも「太宰館の段」での靖太夫さんの大笑いや、「姫戻りの段」の芳穂太夫さんの通りのいい声に魅了された。

さて今回の公演は前々から楽しみにしていた『妹背山婦女庭訓』。頃も桜のいい季節なので、うまくすると造幣局の桜の通り抜けを見られるかな、と期待したが、見ごろは1週間前に終わり。劇場前の桜もすっかり葉桜になっていた。

以前、この演目をみたのは平成22年の春なので6年前。引退された国宝のみなさんが勢揃いで出演されていた。

最大の見どころ、妹山背山の段は上手と下手に床(太夫と三味線)が付き、真ん中に作られた川を境に太夫が掛け合いをするというダイナミックで豪華な舞台。上手は背山で大判事清澄の館、下手は妹山太宰館で未亡人の定高が取り仕切る場だ。男と女の闘いとも見える。

前回は大判事を住太夫さん、定高を源太夫さん(当時は綱大夫さん)が語ったが、ものすごい迫力で息もできなかった。この段が終わったあと、綱太夫さんが立ち上がれず、お弟子さんの肩を借りて舞台を降りられたことは忘れられない。

その段を今回は大判事に千歳太夫さん、定高は呂勢太夫さんが務められた。そういえば前回、呂勢太夫さんは定高の娘、雛鳥を語られたことを思い出す。大判事の息子、久我之助は前回と同じ文字久太夫さん。みなさん、玉のような汗を流しての大熱演だ。

人形は、大判事は前回と同じの玉男さん(当時は玉女)、雛鳥も同じく簑助さん。以前の定高は文雀さんだったなあと、懐かしくなった。

それにしても豪華な舞台だ。遠望の山々から川が流れてくる様子、背山、妹山の住まいの様子、その手前の庭先まで舞台装置の人たちの心配りが行きわたっている。そこを大勢の人形遣いや黒衣さんたちが行きかうのだが、観客に見えているのは人形の動きだけ。浄瑠璃の調べにのって、人形たちは自由に動く。ただひたすらに美しい。

私は通し狂言を好んで観る。歌舞伎にしても文楽にしても、その場、その段の美しさで見せる舞台があることはよく承知しているが、大きな物語を知ったうえで、良さを理解したいのだ。

「道行恋苧環」や「姫戻りの段」「金殿の段」など、よく舞台にかかるのだが、前回の通しをみて、初めて謎が解けたところがたくさんあった。なんでお三輪が殺されなきゃならないか、なんて、最初見た時は怒りしかわかなかったが、納得はできないものの「なるほど」と頷くことはできるようになっている。

もちろん、イヤホンガイドなどで説明を聞き、本やパンフレットで内容は理解したつもりだったのだが、物語の流れの上で納得するのとはわけが違う。

さすがに日曜日、第1部はほぼ満席で第2部も三分の二は埋まっていた。大阪の公演に通うようになって一0年ほどだが、最初のときのようなガラガラな客席ではなくなったと感じる。まだ平日は十分余裕があるんですよ、と劇場の方はおっしゃっていたが、若いお客さんが増えているのを見ると、少しほっとするのだ。

夏の特別公演では井上ひさし作(モリエール「守銭奴」翻案)『金壺親父恋達引(かなつぼおやじこいのたてひき)』が舞台になるという。夏休みの計画を立て、そろそろホテルの手配をすることにしよう。

■東 えりか(あづま えりか)
書評家。千葉県生まれ。信州大学農学部卒。幼い頃から本が友だちで、片っ端から読み漁っていた。動物用医療器具関連会社の開発部に勤務の後、1985年より小説家・北方謙三氏の秘書を務める。 2008年に書評家として独立。
「小説すばる」「新刊展望」「ミステリーマガジン」「週刊新潮」などでノンフィクションの、「読楽」「小説宝石」で小説の書評連載を担当している。2011年、成毛眞氏とともにインターネットでノンフィクション書評サイト「HONZ」(外部サイトにリンク)を始める。好んで読むのは科学もの、歴史、古典芸能、冒険譚など。文楽に嵌って10年。ますます病膏肓に入る昨今である。

(2016年4月17日『妹背山婦女庭訓』第一部、第二部観劇)