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国立文楽劇場

祝! 二代目吉田玉男襲名

仲野 徹

なんといっても今月は二代目吉田玉男襲名披露である。指名手配の犯人かと間違われそうな玉男さんの大きなポスターが、地下鉄の駅などあちこちに貼ってある。せっかくなので初日に見に行かねばなるまい。ということで、早速、初日公演の報告。と、いきたいところではあるが、今回はとある事情があって公演前にありあまる予習をすることにあいなりましたので、まずはそのあたりから。

3月に天満天神繁昌亭で『文楽を応援する落語会』が開かれた。かつては庶民の娯楽であった文楽なので、落語にも数多くとりいれられている。そんな落語を聴いてもらって、ぜひ文楽に興味を持ってもらおうという趣向である。立ち見まで出る超満員で、桂米團治師匠の『猫の忠信』や桂雀三郎師匠の『胴乱の幸助』などの爆笑落語に沸きに沸いた。

この落語会では、「文楽をもっと身近に」という鼎談も企画された。席亭の桂春之輔師匠と、落語会の仕掛け人で、ごく一部で大阪文化の知恵袋と呼ばれている大阪天満宮文化研究所の高島幸次先生、そして私の三人が、中入り後にお話をすることになったのである。英大夫師匠に義太夫を習っているというご縁である。

お前の個人的な話などいらん、と言われるやもしれませんが、しばしお待ちを。なんと、その鼎談に、襲名前のお忙しいスケジュールをやりくりして玉女さん(当時)がおいでくださったのである。お話をうかがうだけでなく、熊谷次郎直実の人形遣いの実演もしていただけた。

人形を遣いながら解説をされる玉女さん。そのとき私は『人間マイクスタンド』となって、玉女さんの声を拾う大役を果たすという栄誉に浴したのである。息がかかるような場 所で見ることができた玉女さんの動き、そして、人形の動きは、客席から見える優雅さとは違い、想像できないほどダイナミックな迫力あるものだった。

楽屋でもいろいろとお話をうかがえた。「人形遣いは力がいるでしょうねぇ」、「左手で人形を持つから左腕に筋肉がつくんです」という話になった。高島先生など、すんませんとか言いながら腕を触らせてもらって、「うわ、すごいわ」とか喜ぶ始末。いやがらずに応じられる玉女さん。私も触りたかったけど、さすがに遠慮しときました。

実は、その前日と三日前にも、玉女さんがお話をされる会に出席した。我ながらこういうことになると熱心である。そのとき、先代吉田玉男師が演じる熊谷直実の映像を観る機会があった。素人目に見ても、人形の動きが実に大きく見えた。「大きく見えますけど、単に大きく動けばいいというものはないですよね」、と尋ねたら、「違います、それが芸なんです」、というお答えであった。あたりまえといえばあたりまえだが、奥が深い。

先代玉男師匠のすごいところは、その大きく見える動きと、じっと動かないでいられること、というお話であった。「動かないというのは筋肉の鍛え方ですか」、というアホ質問にも、丁寧に、「いや違います、芸です」、と静かに答えてくださった。なんとも贅沢なる直撃予習の結果、『熊谷陣屋』の私的な見所は、動きの大きさと静止とに決定。

お待たせしました、ようやくここからが『文楽かんげき日誌』である。4月4日、国立文楽劇場正面玄関に立てられた『二代目吉田玉男』の幟が、満開の桜の木の前でひるがえる。二階のロビーには、寿と書かれた提灯、薦被りの酒樽、そして、たくさんのご祝儀。いやが上にも盛り上がる祝祭ムード。まずは『靱猿』、そして襲名披露口上。

最前列には口上を述べられる五名が、後の二列目と三列目には一門の人形遣いの方達が並ばれ、総勢19名の技芸員の方が裃姿で並ばれた舞台は壮観。竹本千歳大夫さんが進行役で、まずは大夫、そして、次は三味線を代表して豊竹嶋大夫師匠、鶴澤寬治師匠が、そして、人形遣いのお二人、吉田和生さんと桐竹勘十郎さんが口上を述べられた。

久しぶりの襲名披露、それも、初日の口上ということもあってか、やや息苦しいほど張り詰めた感じであった。が、勘十郎さんが途中で少し噛まれて「すみません」とおっしゃったところで爆笑。わざとではないだろうけれど、同期の親友の口上に花が添えられたようで、お祝い気分がうんとほぐれて、妙にうれしかった。

歌舞伎とは違って、文楽の襲名披露では襲名されるご本人は口上を述べられない。残念だが、そういうしきたりなので、しかたない。そういえば、鼎談の時、「公演初日から玉男さんになられるんですか」、とおうかがいしたら、「どうでしょうねぇ、3月31日の楽屋入りの時点で『玉男』と書いてあるので、そのときかもしれません」、ということであった。入籍と結婚式の日にちが違うといったところだろうか、ちょっとおおざっぱである。

いよいよ襲名披露狂言『一谷嫰軍記』。源義経が桜に寄せて書いた制札「一枝を伐らば一指を剪るべし」を自らへのメッセージと解した熊谷直実が、後白河院の落胤・平敦盛を守るため、身代わりとして我が子・小次郎のクビを差し出す、という、おなじみの話。菅原伝授手習鑑の『寺子屋』と並ぶ、二大文楽首実検残酷物語(勝手に名付けただけです、念のため)の一つである。

直実の妻・相模と敦盛の母・藤の局が二人の因縁を語り合ったりする『熊谷桜の段』についで『熊谷陣屋の段』。豊竹咲大夫師匠の語り、鶴澤燕三師匠の三味線で、いよいよ二代目吉田玉男さんが舞台に初登場!人形遣いさんに対しては異例と思うが、「玉男っ!」という掛け声がとぶ。

舞台へ歩み出る直実の動きは実に大きかった。我が子を討たれたと思い込み、直実に切りつける局をかわす直実の動きも実に大きかった。舞台に並ぶ主遣いの三人、藤の局の勘十郎、相模の和生、直実の玉男は同期である。どの世界でも、同期の仲間には独特の思いがあるだろう。お三方はどのような感慨を持たれているのだろうかという思いが頭をよぎる。同時に、芸をされている時にはそんなことを考えるはずもないのだろうかと思ったりする。

玉男さんが、いちばん見てほしいとおっしゃっていたのは、直実の「引き目」だ。敦盛をいかにして討ったかを、左に位置する藤の局に語る直実。実際に殺めたのは我が子・小次郎であるが、局も相模もそのことを知らない。局に語りながらも、申し訳ない思いから、右に座る妻相模にときおり目をくばる直実。

おぉ、ここやここや、すごいすごい。その目にこめられた直実の複雑な思いがひしひしと伝わってくる。扇の使い方も納得だ。やっぱり予習してよかったと、無邪気にうれしくなってくる。とはいうものの、この場面は異様なまでの緊張感。息をつめて観ていたのは、私だけではないはずだ。咲大夫・燕三両師匠から文字久大夫・清介両師匠に交代される時、客席の空気が弛緩するのがはっきりと感じ取れたくらいだから。

ふぅ。直実が出て、かわって義経が登場、そして首実検が始まるまでは、台風の目の中のようなしばしの静けさ。そして、いよいよ首実検。誰の首であるかを確かめようとする藤の局と相模を制札で抑える直実。大きな動き。そして、止まった。じっとする芸というのは、こういうのをいうのか。

熊谷陣屋のような陰鬱な話、最初に聞いた時、襲名披露にふさわしくないのではないかという気がした。が、この狂言、二代目玉男さんが若手発表会で初めて主遣いをされた時、先代玉男師匠が左遣いをやってくださった思い出のものとおうかがいして納得。

しかし、おそらくそれだけではないだろう。大きな動きと静止。そして、引き目に込めた感情。文楽人形の立ち役が、最高の見せ場を作ることができる演目であるからこそ、選ばれたのであろう。そんなこともわかっとらんかったんか、と、我ながら情けない。

「大当たり!」の掛け声が飛び、万雷の拍手。いやぁ、じつにいいものを見せてもらった。いろいろと、それもご本人から予習をさせていただいたおかげで、いつもにもまして楽しませてもらった。そして、玉男さんのおかげで文楽の楽しみ方がワンランクあがったような気がした。

『一谷嫰軍記』の緊張感が高すぎたのか、『卅三間堂棟由来』は、腑抜けのような気持ちで鑑賞してしまいました。スミマセン。玉男さんは心身ともにお疲れだろうに、終演後、ロビーでお見送り。ていねいにサインをされるお姿には頭が下がる。玉男さん、ほんとうにありがとうございました。いやぁ、感動しました。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。エピジェネティクスという研究分野を専門としており、岩波新書から『エピジェネティクス-新しい生命像をえがく』を上梓している。豊竹英大夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。

(2015年4月4日 第一部『靱猿』『口上』『一谷嫰軍記』『卅三間堂棟由来』観劇)