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国立文楽劇場

人形遣い

中沢 けい

一九六六年に発刊された「日本の工芸5 人形」(淡交新社刊)に瀬戸内寂聴が子供の頃に見た「木偶舞わし」のことを書いている。得度前で瀬戸内晴美を名乗っていた寂聴さんは徳島の仏壇屋の生まれだそうだから、浄瑠璃の盛んな町というのは徳島のことであろう。

「道巾のせまい城下町の商家の通りに、ときどき冴えた拍子木の音が響くと、人形舞わしのきた合図なのであった。細長い縦長のつづらを二つ天秤棒で肩にふりわけて、人形舞わしはやってくる。静かな路地の入り口の塀ぎわに荷をおろすと、二つのつづらに棒をたて、その棒に一本の竹竿を渡して舞台ができる。拍子木の音にひかれて、集まってきた子供たちや、子守りをしながらの年寄たちが、ぐるっと即席舞台のまわりをとりまいてくると、人形舞わしは、おもむろに、つづらのなかから、人形を二つ、三つととりだして、竹竿の上に一つずつ立てかけてゆく。つづらのなかで二つ折り、三つ折りにされていた人形は、のどかな南国の昼さがりの陽光のなかに、きらきら簪をきらめかせたり、白毛の眉を光らせたりしながら、あらわれてくる。娘に、老婆に、若侍に、仇役、せいぜい、それくらいの人形の数で、たいていの浄瑠璃のさわりの役は果たせるのだった。口三味線も、語りも、舞わし手も、男が一人で何役もつとめあげる。見物料は飴とひきかえで、人形芝居は飴のおまけのようなものだった。」

私はこの文章を読んで、はっとした。そしてそうか、そういうことだったかと納得した。

関東では木偶舞しというのは聞いたことがない。紙芝居屋さんが飴を売っていた。私の母が子供だった頃、生きていれば今年八〇歳だから瀬戸内さんより十ばかり若い。「飴を買った子は前で、飴を買わなかった子は後ろへさがって」と言われたのが悲しかったと話していた。買い食いを禁止されていた母はいつも後ろから紙芝居を眺めていたそうだ。昭和十年代前半の話である。関東では紙芝居であったが、阿波の徳島ではそれが木偶舞しだったわけだ。徳島以外にもそんな飴屋さんがいたのかどうかは瀬戸内さんのエッセイからはわからない。

即席の舞台を使って男がひとりで演じる人形浄瑠璃のさわり。人形もつかえば口三味線で浄瑠璃を語る飴屋さんは、子供の目にまるで魔法使いのように見えたことだろう。つづらのなかで二つ折り三つ折りになっていた人形に魂が入るところを間近に見たのだから。

文楽の人形を遣う主遣いが紋付袴で顔を表していることを不思議に感じていたのだ。あれには違和感を覚えるという人もいる。私は違和感と言うのではなく、あれはどうしてなのだろうとただ不思議だった。それが飴屋さんが黒子だったら、笑ってしまうか、さもなければ恐ろしいかだろうと想像したとたんにひどく得心してしまった。そうか、そういうわけかと一人で合点した。

『玉藻前曦袂』の「化粧殺生石」では座頭、在所娘、雷、いなせな男、夜鷹、女郎、狐と多彩な人形を、一人の主遣いが次々と使いこなす。国立文楽劇場の二〇一五年錦秋公演ではこの役は桐竹勘十郎さんが勤めていた。文楽座と飴売では、文字通り、月とスッポンほどの違いと承知で言わせてもらうが、瀬戸内寂聴さんが子供の頃に胸を躍らせたのは、こんな眺めだったに違いない。

宮中での陰謀に破れた玉藻前、その正体は唐土から渡ってきた妖狐だ。妖狐は宮中から那須へと逃げる。那須へ逃げたものの退治され殺生石と化す。石に残った狐の霊魂がさながら東へと下る様子を思い出すかのように踊り始める。東下りの様子を表しているかのような場面で、次々と人形を変えて描写して行く。私の心も踊った。

座頭のさびしげな様子が、宮中と洛外の落差を感じさせる。洛外から在所へ、人形が変わり、権謀術策や野心とは無縁な在所娘の姿になんとなくほっとする。このあたりから、妖狐の東下りはハイスピードになる。中山道を下ったか、東海道をくだったか。そこは妖狐のことだから、陸の旅ではなく北山風に乗って空の旅だ。雷様の登場である。

「雲の梯スツテンテンテンテンコロリ。スツテンテンテンテンコロリテンコロリテンコロリ」と雷様が三味線を弾く。三味線を弾きながら歌い踊る。愉快な場面に、路地の入口で木偶舞しを無心に眺めている子供の気持ちになった。ほんとに子供だったら、しばらくは、その場面を思い出すたびにスツテンテンテンテンと踊っていたころだろう。

愉快な雷様とひととき遊び、舞台の気分はすっきりとした江戸風に変わる。いなせな男衆「わしにサア逢ひたくば、浅草三界三社の権現、お宮の辺りの榎の下から、木の葉を拾うてぱらぱらぱらとお撒きやれ」と浄瑠璃に乗り最後は「乳待山へと帰らるる」となる。

川風に吹かれる辻君に女郎の嘆きと、関東の風俗を見せ、道は日光街道の入口。北へ上れば、華麗な日光の後ろには那須の険しい山々が関東の平野と陸奥の野山を分けている。私は一人遣いの狐が跳ねる舞台を眺めながら、東海道新幹線で関東へ駆け戻ってきた時の小さな安堵感を思い出していた。

■中沢 けい(なかざわ けい)
作家。法政大学教授も務める。1959年生まれ。高校在学中に書いた「海を感じる時」で群像新人文学賞を受賞。1985年『水平線上にて』で野間文芸新人賞受賞。著書に『野ぶどうを摘む』『女ともだち』『豆畑の昼』『さくらささくれ』『楽隊のうさぎ』『うさぎとトランペット』など。千葉県出身。

(2015年11月15日第二部『玉藻前曦袂』観劇)