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国立文楽劇場

原始の水たまりの影と奥州安達原

黒澤 はゆま

わたしが子供のころ「キン消し」というものがはやっていた。人気漫画「キン肉マン」のゴム製人形で、当時の一部の男の子にとって、ジャンプとかコロコロとかビックリマンとかと並んで、母親の命の次くらいに大切なものだった。

小遣いをためてはガシャポンを回し、クリスマスにもらったバンダイのプラスチック製コロッセウムにせっせとおさめていた。漫画に出てくるものを擬したコロッセウムは今考えてみればちゃちなものだったが、そのときのわたしには、確かな質量をもって迫ってくる本物で、そこで夜な夜なリングに上がり命がけの戦いをする超人たちは間違いなく生きていた。

そんな大切なものをである、ある日わたしはわが手で切り刻んでしまった。ある夜、一人で超人同士を戦わせているうちに、段々エキサイティングしてきて、戦いに敗れ、傷ついた超人を表現するのに、ただリングの上で倒れさせておくというだけでは満足できなくなったのだ。

鋏を持ち出してチョキン、チョキン。一体だけでは物足りず、もう一つ、あと一つと、持ち出してはチョキンチョキン。やっているうちに悦に入ったというか、得体の知れぬ快感にわたしは襲われた。まだ小学校に入ったばかりのころだったが、それでも、そのときのわたしの顔に浮かんだ笑みは、ドストエフスキー的な黄色いものだったと思う。気づけば、コロッセウムは、超人たちの手足や頭の無数に転がる、凄惨な虐殺の現場になっていた。

結局、しばらくしてから我にかえり、取り返しのつかないことをしたと泣いているところを、母親にぽかりとやられ、わたしは現実の地平に戻ったが、ひょっとしたら、これは自分が身の内のどす黒い暴力衝動と向き合った初めての経験だったのかもしれない。

今回、わたしは「奥州安達原」で、老婆岩手がわが娘の腹から血まみれの胎児を取り出す場面を見ながら、以上のような子供の頃の大虐殺劇を思い出していた。思い出しつつ考えたのは、人形という表現形式は、物語を作るにあたってどれくらいの影響を与えたのだろうかということだ。

人形作家の四谷シモンさんによると、人形の起源は、原始人がある日ふと見た、水たまりに映った「我」なのだという。水に映った自分の顔を見たときに「何だろう」と感じた不可思議なもの、それがまだ形にもなっていない最初の人形なのだと。それは、自分がコントロールできない自分自身、宗教や神様にもつながっていれば、原始的で未分化な衝動、野蛮にもつながっている、もう一人の自分と言い換えてもいいのかもしれない。

だから、人形は常に怖い。静かにたたずむ人形を見ていると居心地の悪さを感じ、操るか壊すかしたくなるのは、一種の防衛本能なのだと思う。彼ら彼女たちは、原始の原野の水たまりに映った影のときから、「あなたは誰?」とこちらに問いかけ続ける。わたし達の自我を揺さぶり、壊そうとする。自明のものと思っていた人間の境界が揺らぎ、文明人の皮相な殻をむき、もっとプリミティブな、野蛮で残酷で、血と酒と性の喜びに狂奔する、わたし達自身に出会わせてくれる。

となれば、それを操って作られる物語も当然そういったもの、野蛮で残酷で、透き通って純粋なものになるだろう。

わたしも物語作家の端くれだから分かるが、作家が物語に介入できる自由度はほとんどない。もし完全にコントロールすることが出来たのなら、それは「物語」ではなく「作り話」だ。近松門左衛門も、その近松に私淑し、今回の「奥州安達原」を作った近松半二も人形に手を引かれ、夢見るように物語を紡いだはずだ。

立ち稽古をしつつ、役者の意見や即興も取り混ぜて、いわば民主主義的に作っていく歌舞伎の脚本と比べ、文楽の脚本は近松門左衛門以来、作家が部屋にこもってうんうんうなって作っていく、今の小説家のイメージに近い、いわば独裁主義的なものであったらしい。こうした作り方だと、人形の持つ特質はさらに強化され、物語の筋がより先鋭的なものになるのも当然のことだろう。

今回、観客を愕然とさせた老婆岩手の奇跡のような人物造形。彼女のキャラクターも決して近松半二一人の才能によるものではなく、人形劇である文楽の表現形式によって必然的に生まれた存在だったと思うのである。

一族の大義のために、旅人を次々と虐殺し、わが娘の腹を暴き、血まみれの胎児を取り出す岩手。パンフレットに文章を寄せていた演出家の宮城聰さんが言うように感情移入など到底不可能な存在のように思えるが、彼女は過ぎた時代に、ひととき現れたあだ花で、二十一世紀を生きる我々には無関係な存在なのだろうか。

いいや、そうではない。

彼女もまた「あなたは誰?」とこちらに問いかけ、わたし達の純粋さや野蛮さや残酷さを暴く、もう一人の自分、原始の水たまりに映った影の末裔なのだ。

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2014年11月22日 第二部『奥州安達原』観劇)