日本芸術文化振興会トップページ  > 国立文楽劇場  > 闇を力に

国立文楽劇場

闇を力に

下平 晃道

四条河原の段
「闇を力に」この言い回し、しびれるな。「近頃河原の達引」を観劇しながら、舞台の上部の暗がりに映し出された、この白抜きの文字を見た。そこでぴんと張りつめた空気がほどけて、僕はため息をもらしてしまいました。2度目の観劇となった今回は、言葉がするすると入ってきます。きっと前回の観劇で文楽に少し慣れてきたのでしょう。

冒頭、舞台の上には白く細い木が一本たっている。ここは四条の河原。二人の男、伝兵衛と官左衛門が言い争う場面。伝兵衛は官左衛門に金の貸し借りで騙された上に、目の前で家宝の茶入れを打ち砕かれてしまう。恥ずかしめを受けた伝兵衛は、堪らず官左衛門を斬り殺してしまうのですが、こうなってしまった以上、自分は自害するしか道は残されていないと覚悟します。

ここで駆けつけた久八が、早まろうとする伝兵衛を思いとどまらせ、まだ人が見ていないうちに、闇にまぎれて逃げなさいと言うのです。その時、舞台上部の字幕では順番にこう綴られます。

「更け行く空も定めなき/恋と、無常をうば玉の/闇を力に」

この字幕も演出のひとつになっているように感じる。

更けていく空が、この先に待つ無常な運命を、うば玉(闇)のように暗示している。しかし、今は、この闇を利用して逃げなさい。ここで発せられる一つ一つの情景が、唄となって耳に届く。簡潔でいて、とても豊かに感じます。

このような言葉の美しさは、上に紹介した場面の直前に、伝兵衛が官左衛門に向かって刃を下し、決着がつく場面でも見られます。

白い木を背に伝兵衛が官左衛門を斬りつける。

「ひと息ほつと突き出す鐘」
「オオあの鐘の音は清水寺、冥土へ導く諸行無常。オオさうぢやさうぢや」

官左衛門が斬られる音を、清水寺の鐘の音と重ねて、同時にその鐘の音を伝兵衛が耳にし、彼がこれから向かう運命、すなわち自ら命を絶って冥土へ旅立とうとする気持ちと重ねています。この場面、人形はほとんど動かず、三味線の音と義太夫節で謳い上げられることで情景が迫り、伝兵衛の絶望が深く漂っているようでした。

堀川猿廻しの段
段が変わると、舞台上の場面も大きく変わり、おしゅんの家。伝兵衛は恋人であり、先の四条河原の事件以来、祇園から戻されていた、おしゅんの住まうこの家へ身を寄せようとします。ここは、前段と打って変わってコミカルな演出になっていて、ここで活躍するのが、おしゅんと一緒に暮らしている、猿廻しを生業にする兄の与次郎、そして目の不自由な母です。例えば、与次郎が食べていた梅干しを何度も落としたり、妹のことが心配で飯も喉を通らぬと言いながら、動きでは碗で大飯を食らったり、おしゅんと伝兵衛を間違えて家の中へ入れたり、盲目の母が、おしゅんと勘違いして伝兵衛のことをベタベタと触ったりといった小ネタが満載で、二人を中心とした楽しいドタバタが繰り広げられ、それが、緊迫感のあった前段とギャップになっています。本筋は母と兄がおしゅんのことを心配し、別れを悲しむ、ともすれば湿りがちな場面なのに、伝わってくるものは不思議と明るく、思わず笑いがこぼれてしまいました。

この家の構図。どこか馴染みのある形だなと思ったら、ドリフターズの夫婦コントで使われていた家のセットと、同じ構図だと気がつきました。それを踏まえて、今、同じコントを見てみたら、また違う笑いを感じたかも。

そして、極めつけは、旅立つ伝兵衛とおしゅんに、門出の祝いにといって、与次郎が猿廻しの芸を贈る場面。小さな二匹の猿がでてきて踊ります。縦横無尽に動き回るかわいい猿。祝いの盃を頭の上にのっけたり、引っ掻いたり、そろって左右に揺れたり、交互に飛び上がる姿を見て、和やかな気持ちになりました。もとから、多くの音楽的な要素で成り立っている文楽の世界ですが、今回はとりわけ、音や唄や踊りといった場面がたくさんあって楽しかったです。

踊る二匹の猿の動きがなんともかわいらしい。

さて、見せ場の猿廻しが終わり、我が子おしゅんの幸せを願いながらも、ここへ匿うことはできない。なんとか逃げ果せてくれと二人の後姿を見送る母と与次郎。そこへナレーションのように「堀川猿廻しの段」の段切詞章が入り、みすぼらしい姿のまま、聖護院の深い森の中へ二人が入っていく様子が短く詠われます。 「森を、あてどに辿り行く」 最後の一節が字幕に現れて、音が消えると同時に文字も消えていく。まるで森の中へ姿を消す、伝兵衛とおしゅんの心細さを顕すように見え、僕の想像した森も闇に包まれる。二人の運命を暗示する闇を見たようでした。

■下平 晃道(しもだいら あきのり)
イラストレーター、美術作家。1973年生まれ。東京造形大学彫刻学科卒業。2002年よりフリーランスのイラストレーター(Murgraph または下平晃道)として活動を始める。以後、広告、雑誌、装画、ウェブサイト、ミュージシャンやファッションブランドとコラボレーションした商品等のイラストレーション、ライブドローイングなどの仕事を手がけている。京都市在住。

(2014年1月17日第二部「面売り」「近頃河原の達引」「壇浦兜軍記」観劇)