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国立文楽劇場

善悪の垣根

玄月

かつて、公に敵討ちが認められていた時代があった。とくに江戸時代初期は、戦乱の世の気風が色濃く残っていて、助太刀をする側も敵を匿う側も、一度引き受ければ血縁関係がなくとも命がけで向き合ったという。 敵討ちは世間の評判になり、気が進まなくてもやらなければならない立場に追い込まれたりもしたらしい。また、尊属(自分より上の世代の血族)でないと敵討ちは認められないが、幕府が世間の目を気にして柔軟な対応をすることもあったそうだ。 昔の日本人は、敵討ちや心中といった「美しい物語」が実に好きである。話題になった事件は、文楽や歌舞伎の脚本家たちが放っておかない。逆にいうと、欲にまみれた事件は題材にはならなかっただろう。人間を感動させる最大の要因、義理と人情と純愛が前面に出てないといけないのだ。 現代は、文楽や歌舞伎の脚本家たちには魅力のない時代に映るだろう。現代人の心から義理と人情と純愛が失われたわけではないが、それらが絡み合った事件など皆無に等しい。俗欲や痴情やサイコパスが引き起こす、目も当てられない惨事ばかりが目につく。

江戸時代初期のある有名な敵討ち事件を脚色したのが、「伊賀越道中双六」である。私は一昨年の夏から文楽を6公演連続で見てきたが、もっとも筋が入り組んでいる。しかし、わかりにくくはない。なぜなら、物語の底に、一本の太い幹が横たわっているからだ。 私の知るかぎり、文楽には単純な勧善懲悪はなく、善が時には悪、悪が時には善になる。そもそも、善悪の垣根が限りなく低い。岡崎の段では、剣術に長けた唐木政右衛門が生まれて間もない実の子を無惨に殺す。なんのために? 義弟の敵討ちの助太刀を、全うするためである。身内からさらなる死者を出すなど、本末転倒ではないのか! と、憤ったりすることはない。観客は驚きはするが、なぜ政右衛門がそうしなけれならないかが理解できるのだ。幼子を刺し殺し庭に放り投げるときの人形の動きは、乱暴で情け容赦なく、それでいて底知れぬ哀しみを感じさせる。 文楽ではときに、とても大事な場面をざっくりあっけなく済ませることがあり、びっくりさせられるのだが、時間をかけてじっくり魅せるより効果的であるからそうしているのだろう。もちろん逆の場合もある。 たとえば「仮名手本忠臣蔵」城明渡しの段。由良助が無言で城からゆっくり遠ざかりながら、提灯の家紋を切り取って懐紙にはさみ、主君が切腹した刀を取り出し、大見得を切る。たったこれだけの場面に、十分近くを費やしているのだ。由良助の無言のうちの、無念と決意が滲み出た、これほど濃密な十分間はない。 要はメリハリなのだ。文楽の演出はじつに無駄なく研ぎ澄まされている。 「伊賀越道中双六」千本松原の段では、平作は二歳のとき養子に出して以来の十兵衛から、敵である股五郎の行方を聞き出そうとする。しかし十兵衛は股五郎に義があり、答えられない。平作は十兵衛の脇差しで自らの腹を突き刺し、冥土の土産に股五郎の行方を教えてほしいと懇願する。 このように、あるひとつの目的のためなら、命は限りなく軽くなる。すべては「義」のためなのだ。それが、物語の底に横たわる一本の太い幹なのだ。そこにはもはや、善悪などない。 平作は最後に、なんまいだ、と何度もつぶやく。竹本住大夫のこの語りには、とてつもない凄みがある。前の席の中年男性は涙を拭っていた。もちろん私も涙ぐんだ。住大夫による千本松原の段だけのDVDもあるくらい、名演である。

■玄月(げんげつ)
作家。大阪南船場で文学バー・リズールをプロデュースし、経営している。1965年生まれ。大阪市立南高等学校卒業。2000年「蔭の棲みか」で第122回芥川賞受賞。著書に、『山田太郎と申します』『睦言』『眷族』『めくるめく部屋』『狂饗記』など。大阪府在住。

(2013年11月12日『通し狂言 伊賀越道中双六』(第ニ部)観劇)