文楽かんげき日誌

怒涛のロード文楽

有栖川 有栖

昨年、東京(九月)と大阪(十一月)で『伊賀越道中双六』が通しで上演された。この狂言が一日の通しでかかるのは大阪では二十一年ぶりだとか。随分と久しぶりだ。

かねてより観たかったのだ。しかし、休憩時間を入れると九時間近いという長丁場なので、ぶっ通しは厳しく感じられて(根性がなくて、すみません)、十一月六日と八日の二日に分けて観た。

その両日がたまたま最も都合がよかったというだけなのだが――この狂言のモチーフとなった荒木又右衛門・渡辺和馬(劇中では唐木政右衛門と和田志津馬)による鍵屋の辻での敵討ちがあったのは、寛永十一年(一六三四年)十一月七日。つまり、期せずして敵討ち当日をはさむような恰好になった。

『伊賀越』と言えば、名高いのが沼津の段。生で観る機会がなかなか得られなかったので、四代目竹本越路大夫が吹き込んだCDを図書館で見つけて聴いたりしていた。浄瑠璃だけで鑑賞するのも結構なものだが、やはり人形も観たかったから、待望の上演だったのである。

開演前に開いたプログラムには、第一部の沼津の段で平作、第二部の岡崎の段で幸兵衛と老け役二つをこなす桐竹勘十郎さんのインタビューが載っていた。この中で勘十郎さんは、「『伊賀越道中双六』はいいお芝居ですが道行もありませんし、男が主体で全体的に地味です。昔から『伊賀越』の通しは敬遠されるお客さんが多いと言われていました」とのこと(しかし、それに続けて九月の東京公演の入りがよかったことが語られている)。

へえ、そういうものなのか、と思いながら観劇した感想は、「地味どころか、見所が多い怒涛の狂言!」だった。他の狂言とは違った魅力がいっぱいである。

ところで、何の予備知識もない人(かつての私を含む)に「このタイトルから、どういう芝居だと思いますか?」と訊いても、荒木又右衛門の敵討ちの物語だとは判らないだろう。伊賀ときたら鍵屋の辻、とまで連想を働かせるのは難しい(徳川家康が大ピンチに陥った伊賀越えが浮かぶかもしれない)。双六は何を意味しているのだろう、と首を傾げる人もいそうだ。

実は、この双六の一語は内容をほのめかすヒントになっている。敵討ち=復讐の物語では、憎い相手の居場所を捜して回るプロセスが重要だ。クライマックスよりもその過程がゲームっぽくて面白かったりもする。また、相手が何人もいる場合は、最終目標=ラスボスと対決するまで一人また一人と倒していかなくてはならない。小説やドラマでは、それを双六にたとえることがあるのだ。――それ自体、もしかしたら『伊賀越道中双六』に由来するのか?

勘十郎さんが「地味」とおっしゃったことにも前記のとおり理由があるが、「けっこう派手」と見ることもできる。鎌倉の鶴岡八幡宮の境内に始まり、伊賀の鍵屋の辻で決着をみるこのドラマは、双六のようなゲーム性を帯びていて、道行(男女が連れ添った旅のシーン)は欠いているものの、物語のかなりの部分で登場人物たちは東海道を西へ西へと旅している。

そのため、浅葱幕が何度も登場するのが特徴だ。浅葱幕とは、浅葱色=薄い青緑色の幕のことで、次の段の舞台が昼間の屋外であることを示すもの。チョンと柝が入ったところで、はらりと真下に落ちて、思いがけない風景が現われたりするので楽しい。

余談ながら――この浅葱幕は歌舞伎でもおなじみのものだが、それがどういう意味を持っているのかを教えてくれたのは、文楽劇場のイヤホンガイドだった(どの狂言のどの段でのことかだったかは忘れた)。それしきのことでも、解説してもらわなくては気がつかないものだ。

道行はないが、道中シーンがたっぷり。鎌倉を発って沼津の里、千本松原、藤川新関、その近くの雪に埋まった竹藪、岡崎のお袖の実家、伏見の船宿、そして伊賀と舞台は移っていく。

もちろん、ただ場所が移動するだけではない。それぞれの土地で、スリリングな関所突破やら忠義に引き裂かれた父と息子の哀切極まりないドラマ、はたまたスパイ映画のような駆け引きやらがあって、観客をひと時も退屈させない。

映画にはロードムービーというジャンルがある。主人公あるいは主人公たちが旅の途中で経験をする様々な出来事を描いた映画だ。『道』のような大道芸人の物語もあれば、『イージーライダー』のような青春の彷徨、『男はつらいよ』シリーズのような人情ものやコメディもあり、敵をどこまでも追ったり敵からどこまでも逃げたりする物語もこれに含まれる。

『伊賀越』を観ていて、「これはロード文楽だな」と思った。舞台が次々に動く狂言はそう珍しいものではなく、『義経千本桜』なども登場人物らがめまぐるしく移動するが、波瀾万丈でまさに〈道中〉が物語の中心となる『伊賀越』は、ロード文楽の筆頭格ではないだろうか。

それにしても。

実際にあった荒木又右衛門の敵討ちを自由奔放にアレンジし、名刀正宗の奪い合いやら夫婦のドラマやら御前試合やら父子の悲しい宿命やら、よくこれだけ色々な見せ場を盛ったものだ。

敵討ちを成就させるため、主君の前でわざと試合に負けたり、わが子を手に掛けたりする唐木政右衛門に対しては、「忠と孝の優先順位、それでいいの?」「自分との結婚を認めず、娘のお谷を勘当した舅のために何故そこまでする?」という疑問も湧く。が、そこは現代劇と見方を変えるしかないところだろう。いや、私がよく理解できていないだけなのかもしれない。

中盤の山場、沼津は竹本津駒大夫、豊竹呂勢大夫、竹本住大夫さんとリレー。かつては住大夫さんが一時間半を語りきったところだろうが、切の千本松原の段が聴けただけでも感激した。

二歳の時に手放した子と父の対面が、永遠の別れとなろうとは。自らの命と引き換えに敵の行方を尋ねる父・平作に、息子・十兵衛は生涯で最後の親孝行をはたした時、父は念仏を唱えながら息を引き取る。――場内のあちこちで、ハンカチを使う人の姿が見られた。女性のみならず、男性も。

設定はいかにも大時代と言うしかないが、親子の情愛や運命の残酷さへの想いは、今も昔も変わらない。やはり、「いいお芝居」である。

さて、このロード文学の傑作『伊賀越道中双六』が次に通して観られるのはいつだろうか? また二十一年後? とまではいかずともだいぶ先になりそうだが、その日を楽しみにしておこう。

■有栖川 有栖(ありすがわ ありす)
小説家、推理作家。1959年生まれ。同志社大学法学部卒業。1989年『鮎川哲也と13の謎』の一冊、『月光ゲーム Yの悲劇'88』でデビュー。2003年『マレー鉄道の謎』で日本推理作家協会賞、2008年『女王国の城』で本格ミステリ大賞受賞。主な著書に、『学生アリス』シリーズ、『作家アリス』シリーズなどがある。2013年4月、大阪を舞台にした『幻坂』を刊行。有栖川有栖創作塾の塾長も務める。大阪府在住。

(2013年11月6日『通し狂言 伊賀越道中双六』(第一部)、8日(第ニ部)観劇)